スカイ・クロラ('08/監督:押井 守)

菊池凛子って誰だっけ…と思ったら「バベル」の人かー。滑舌の悪さというかここでこうイントネーションくるか(特に『彼の死を汚すな』ってとこ)という違和感はあったけど感極まった時の演技はわりと良かったし、後半はあまり気にならなかった。…でも、栗山千明と役交代したらもしかしてもっと良かったかもとは思った。で、結論から申しますと満足できる密度の雰囲気ある叙情恋愛映画(背景の空や海の質感まですんげえリアルな造形の3DCG戦闘機アクション-天地わからないシーン多くて乗り物酔いしそうだった-でさえ、きちんと主ではなく従になってるんだから押井さまったらもう。禁欲しすぎ!)でした。ここでの分かりにくさは、もはや“フランス文芸モノってハリウッド大作にくらべて思わせぶりすぎる”って程度。『ティーチャー』の存在の“正体”さえ考えすぎずにおけば、伏線や含みが未消化な部分ないと思う。ラストで主人公の感性が彼岸にいっちゃってたかのような「イノセンス」に比べれば格段の一般寄りだと変なところで感動しちゃった。たとえばですよ、主人公が赴任してきてルームメイトに初めて会うのが朝帰りからの窓入りだとか、『泊まっていってもいいのよ』といいながら服を脱いでいく女だとか。びっくりするじゃないですか。こんなベタ描写をおすいまむぉるがって。驚いたといえば萌え幼女と萌え猫の登場にも驚いたぜ。どちらも監督の鬼門だとばっかり。まあそれをいえば主人公とヒロインはショタとロリ(どっちもヘビースモーカーなのがなんともインモラル)なんだが。…いままで黄瀬和哉西尾鉄也の作風の差ってわからなかったけど、どうも萌えにおいては後者の方が一般受けしそうな感じ。…まあなんだかんだで、ストーリーラインは“文字通り万年少年な戦闘機乗りが赴任してきた先には美人だけどなんだかツンデレで噂によればヤンデレな司令官がおり、そんな彼女と殺すか殺されるか、殺伐としていながらもどこか甘酸っぱい恋の行方は?”で理解可能だし(単なる想像だけど脚本家選抜がうまくいったんじゃないですかねえ)、テーマとしては“戦争があってしか平和を実感できないような残酷で味気ない現実において、大人になれない事実よりも先に大人になりたくない自分たちの如何ともしがたさこそが胸をかきむしる。だから俺と愛し合ったおまえは生きていけ。無限ループの中にいつか出口が見つかるまで。俺も一つのゴールである「ティーチャー」撃墜めざすよーん…あ死(そしてこんにちは)”って感じ。いいんちょっこ三ツ矢さんの語る悩み、形のない日々のくりかえしで一週間前も一年前も記憶の詳細が変わらないおそろしさってのは、もう私もよく感じるものでありまして…社会において大人になることも嫌でこわくって、だからといって精神的ニートでいることにもじりじり炙られてしまっている自分のような人間にはまさしく直球ど真ん中な映画だったんだなと。これはもう、ネタバレ満載だったというNHKでの押井インタビュー番組視たいなあ。再放送やらないかなあ。…ところでティーチャーの正体というのは、何だったんでしょう。テーマに沿った予測なら、大人になれないのではなく大人にならない(誰かを犠牲者かつ疎外対象として日常を安寧に送ることを嫌悪するがために戦争当事者として無垢なる空で戦い続ける)キルドレたちが、自分たちを存続可能とするための逆説設定としての、成長した自分自身って感じでしょうか。…でも水素は以前のティーチャーと生身の人間同士としてつきあってるような事言ってたし。…もしかして水素が恋して殺すまでに愛した相手はその殺害後にティーチャーと函南に分離再生されたってこと?