2024年3月に観た映画

ボーはおそれている ('23 アメリカ/監督:アリ・アスター)

日々を送る中で予測を立てる時(こうなったらやだな)、(こうなったらパニック状態になってお手上げだろうな)と考えるにおぞましい状況が、この映画の導入でつるべ落としにやってくる。特にオートロックを自ら無効化せねばならなくなるくだりは、観ている方が泣きたくなるぐらい気の毒。であると同時に、人は打つ手に詰むと望まずとも自ら墓穴を掘るしかないのだなという描写の絶妙なバランスに苦笑というか乾いた笑いが湧いてくる。癒しハウスでは話がつうじない庇護者のもとで暮らす懊悩、オーガニックキャンプ地でのひとときの落ち着きも現実でないかもしれないという予感により、アニメで表現された神話の不穏さにやがて覆われる。そして常に襲ってくる不意の暴力。主人公は客観をなくしながらやがて資本家である母の家にたどりつき、そこで更なる世界の残酷を目の当たりにする。ラストは『おめでとう』ENDと『きもちわるい』ENDを合わせたような不条理裁判スタイル。アリ・アスターは現代のカフカだ。それにしてもこれだけ長尺なのにダレない映像をつくれる編集センス。やはり非凡な監督なのだと再確認。

 

瞳をとじて ('23 スペイン/監督:ビクトル・エリセ)

謎の失踪を起こして久しい俳優をさがすドキュメンタリーに出演する監督という、3つのレイヤー(劇映画、テレビ番組、それらを捉える本作)が入れ子として重なりあい、ほんとうのだれかに出会うのは、自らの瞼を閉じて心の中に問うしかないという永遠の孤独についての秘密があらわれてくる。何枚ドアを開けても、他者という実在に触れることは決してできない。だから人は詩をうたい、映画を撮る。うつくしい静かな時間。映画じゃない、作品という時間だった。