2022年5月に読んだ本

東京ゴースト・シティ

人気のある都市というのは、大概が過去に生きた人々の痕跡がじんわりと肌で感じられる。知日家でもあるナンセンス小説の名手ユアグローが、出版社の招へいに応じて短期逗留した東京都内の各所をモデル(エピローグでは思わぬ場所に意外な人選とともに跳ぶが、エトランゼとしての自意識が為せる業かもしれない)に、過去と現在とひと昔とちょっと先の未来とがマーブル模様に交じりあうTOKIOの喧騒を幻視しつつ居酒屋巡りで喰いだおれる。もっと遠慮のない観察眼がそのまんま出ていても良かった気がするけど、友人の多い国への半ばエールもこもった創作エッセイとしては十分楽しい。

 

ヌマヌマ

ロシア文学の翻訳者であり、第一線の愛好者でもある沼野夫妻による、現代の精鋭たちの短編アンソロジーサイバーパンクあり、詩情実存あり、リアリズムあり、越境者文学あり、サイコホラーありで、その幅広さ自体に今まさに隣人としてあるロシアの等身大の姿がこれまでにない鮮明さでイメージされてくる。夏に過ごす畑付きの質素な別荘、当然の帰結としてほぼ汚いものだけで構成される学生寮という名目の貧民アパート、相互監視のうっすらとした緊張感の漂う都市のルーティーン。これまでとは違う解像度で紹介される近くて遠い大国の姿に、そこで綴られてきた儚さと強靭さとを併せ持つ文学の営みに、あらためて魅了された。特に、時空をシームレスに行き来する超絶技巧を難なく駆使する『バックベルトの付いたコート』(ミハイル・シーシキン)はオールタイム・ベストもの。ほか、語りの騙りを用いた『空のかなたの坊や』(ニーナ・サドゥール)も人物像への適度な距離感がユーモアと哀切を生んでとても佳い。

OVA「新ゲッターロボ」(’04/全13話 監督:川越 淳)

 昨年にTV放送されたゲッターロボシリーズの最新作「ゲッターロボアーク」でなぜか急にゲッター線に目覚めてしまった(伏線としては幼少期に読んだ石川版ゲッターロボがある)余波として、同シリーズの平成OVA三作の掉尾を飾る「新ゲッターロボ」をはじめて最終話まで視通すことができた。なぜ"はじめて"かというと、これまではバイオレンスドラマとロボットアクションを繋げる企画の意図が掴めなかったのである。さらに言うと、それをロボットアニメ名作のリメイク(なお厳密にはこの定義はあたらない)でやる意味が分からなかった。

 「新ゲッターロボ」は石川賢が存命中に制作された最後のアニメ作品である。それにふさわしく、石川が構築した"ゲッターロボサーガ"のエッセンスをよく掬い取って嚙み砕いたのちに構築し直された内容となっている。東映TVシリーズとも先行のOVAシリーズ2作とも大きく異なるキャラクター設計(もっともゲッターロボはどのシリーズにおいてもキャラクターやストーリーのアプローチと解釈がバラバラなのだが)は、石ノ森章太郎の昭和SF漫画をアニメ化する際に数多くメインライターを担ってきた大西信介の持ち味がかなり強く出ていると私見した。それは一言でいえば"無頼"。たとえれば昭和の脚本の自由度の高かった時代劇や、平成に多く流通していたレンタルビデオ向けのヤクザものに似た雰囲気が本作にはある。根なし草の野良犬たちが吠えまくり暴れまくり、やがてはどこかへ去ることで世間から消えていく。その哀愁をロマン仕立てにした趣向に近いものが、この「新ゲッターロボ」では料理の"つなぎ"の役目を果たしている。いわばこのアニメのジャンルはピカレスクであり、ノワールと定義してもそう外れてはいない。そこに本作の最大の特長がある。ちなみに主人公パイロットたち三人それぞれの属性は、外道とされた格闘家、殺人を辞さないテロリスト、時代遅れなまでの破戒僧…である。なお、他のゲッターロボ作品と比べて本作の白兵戦の割合とその血生臭さは抜きんでていることも補足する。

 そうなると、何度視返しても(なぜ平安時代タイムスリップで4話も使う?)となってしまう「黒平安京」編がむしろアニメとしてのケレン味を強めるためのバランサーだったのではないかと仮説を立てたくなってくる。中途半端にキャラが立った(子安武人の悪役演技は例によってすばらしい)安倍晴明といい、なぜ女なのか脚本意図があやふやな(セクシー要員かといえば全然そんなことはない)源頼光といい、率直にいって舞台負けしがちなテーマ構成になっている「黒平安京」が、アニメとしての見応えを加えるために現実とは離れた空間に一旦は舞台を移す必要があったと理解できる気がしてくる。ただ、前半で"鬼"という存在でくりかえし示唆された、人類の種保存本能と表裏一体の攻撃性=暴力志向がテーマで十分に昇華されたかというと、結論をいえばかなり惜しいといわざるを得ないかもしれない。

 「黒平安京」編と終盤の四天王神の来襲とを繋ぐブリッジにあたるのが第9話の『地獄変』だが、そこで主人公のひとり流 竜馬は未来の東京が異形の人類だけが生き残る荒れ果てた場所になっているのを幻視すると同時に、その荒廃が自分自身の内面が反映された帰結だと直観する。ここで竜馬の比類ない無頼性がテーマの軸としてクローズアップされていくのだが、それを補強するイメージとしての画面描写は的を射ているものの、周囲のキャラクターから見た竜馬のスペシャリティへの批評や説明が少々不足しているゆえに視ていて理解が追い付いていかない感触がある。独自の意思すら持つと観測されている、宇宙からの未知のエネルギー体である"ゲッター線"。その意思に選ばれた存在である竜馬の特異性は、最終決戦に向けてもっと印象付けられていた余地があると考えるのが、自分が本作に抱いた惜しさの理由だ。竜馬というキャラクターの異物感と、そこを突破してのピカレスクロマンの本懐。さらに脚本と演出とでテーマが練磨されていればと対四天王戦を視ながら考えてしまっている自分がいた。そもそも"神"を自称するには四天王たちはスケールが小さく感じられ、ゲッターロボサーガの特徴である"人類がやがて対峙する脅威"の得体の知れなさと比べると、わかりやすい解釈とのバーターに思えるのが難だ。それとも、四天王たちの眷属たちによる物量戦(チェンゲ序盤の有名なシーン!)があるなどの画面を盛る趣向があったらよかったのかもしれない。

 とはいえゲッターファンの端くれである自分が本作を評価しないかといえば、全くそうではない。消えゆくVシネ文化の徒花のような暴力でなにもかも昇華する粗さと、やりきれない言葉未然の感情をときおり拾うこまやかさという日本アニメの得意とするところ(意外とキャラが黙考するカットは多い)が自然に融合した演出の安定度、市街戦、攻城戦、研究所の格納庫、ダム湖などを舞台設定としたロボットアクションの豊富なバリエーション、そしてここぞという回では爆発的にエッジな動きをみせるアニメート、何より捉えどころがなく、古いファンほど「何度読んでも分からん」といわしめる石川賢が織りなす"ゲッターロボサーガ"を大胆に改変して自家薬籠中としつつも、いくつかのシチュエーションなどで石川版を踏襲してパラレルワールドの醍醐味をも醸成していることなど、何度も観返す価値は十二分にある。おそらくゲッターOVA三作のなかでも全体的な評価はもっとも高いのではないかと思われるので、興味のある方には一見だけでもおススメしたい。ところで個人的には、マッドサイエンティストの早乙女博士の令嬢であるミチルの現代を先取りしたかのような自立した女性キャラぶりに注目してほしく思う。それでいて、他シリーズの彼女ともそこはかとない繋がりは切れていないのだ。(余談ながら。暴力描写はやや過剰気味なのだが、女性をいたずらに客体化する面はあまりない気がするのよ、ゲッターロボ全般。)

2022年4月に観た映画

ナイトメア・アリー ('21 アメリカ/監督:ギレルモ・デル・トロ)

どの街にもある『悪夢小路(ナイトメア・アリー)』。そこでは人生という迷路で袋小路に詰まった者たちが行き倒れている。悪意、失望、孤独、格差、搾取。あらゆる悲惨がカードのように目の前で展開される。さあ、どれを引く?  しかし他人を陥れる狡さと悪意の深さで社会階層を上がれるのなら、人生は表面的な美醜とは無関係に等しく汚泥で舗装されていることになる。その生の真実が“物語”というロジックの枠にきっちり嵌った瞬間、一滴のカタルシスを感じるのも救いといえるのかもしれない。ブラッドリー・クーパー演じる主人公の最後の笑/泣顔が脳裏を去らない。

 

アネット ('21 フランス・ドイツ・ベルギー・日本・メキシコ/監督:レオス・カラックス)

恋のたかまりを表現した美しいポスターに騙されるが、これは愛の物語ではない。さらにいうと、そのシーンはドメスティック・バイオレンスの現場なのだ。なんという悪童精神。カラックスここに在り。SNS時代の寵児となる赤ん坊の(劣等感から妻を虐待した夫の娘)アネットはなんとマリオネットとしてほぼ全編に演出される。かえって手間かかるだろ!それもしかしてコンプラ全盛時代へのアイロニーか?でも面白い。すべてのカットが腰すわって視点が定まった構図。アネットの歌が世界を席巻する描写の、偶像が夜空をきらきらと回転するイメージのバカらしさと愛らしさの両立。『ホーリー・モータース』よりさらに進んだ自作客体化を見せてもらって、あちらは不満気味だった自分は本作はかなり好き。親子関係という今もっともセンシティブな対象への着地点も納得がいくものだった。そしてどの街も夜が美しかった(でも東京の高層ホテルからの夜景、あれ実際の撮影はマカオとか香港じゃない?)。

 

MEMORIA ('21 コロンビア・タイ・イギリス・メキシコ・フランス・ドイツ・カタール/監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン)

ポスターの良さに惹かれて観に行ったので、環境ビデオとしては満足。ただ、このカットさすがに長すぎでしょ?ということが一度ならずあったので、自分はあんまりこの監督の良さは分からないかもしれない。講義室に満ちるセッションの演奏音、ジャングルに降りしきる雨の落下音を経ての、絶対的な無音/爆音へと至るイメージの旅としてはそれなりに浸ることができた鑑賞体験だった。

2022年3月に観た映画

ライダーズ・オブ・ジャスティス ('20 スウェーデンデンマークフィンランド/監督:アナス・トマス・イェンセン)

テック陰謀論、家族間虐待、社会的弱者、有害な男性性、ネオリベ接近ギャング。様々な現代の問題を詰め込んで、よくこの着陸点に辿り着いたなと思った。それで済むのかしらというアラはあるものの、まあクリスマスだしな!とムードで流せるいい加減さもこの映画のチャーミングなところ。銃撃戦でのもうさすがにダメ、終わった…からの展開は久しぶりに映画で胸がスッとした。印象的なキャラクターのバリエーションでは今年の指折り。特にカウンセリングを受けすぎてカウンセラーの真似事が出来てしまう内向的なおじさんが現実感あって良かった(もうしませんごめんなさいってシーンがほんとに沁みた)。心が深く傷ついた人たちのサークル物語であり、あるいは新たなるランボー型破天荒アクションでもあり。

 

THE BATMAN ('22 アメリカ/監督:マット・リーヴス)

暗くリアルな荒んだ街から始まり、自分の殻に閉じこもった青年主人公がときに自らの中の破壊衝動をコントロールできずに、それでも悪と戦う自警活動をやめられない。正直いってそのまま、精神面で成長せずにラストまで持っていってほしいという衝動を観ている最中に感じたが、中盤のキスシーンで物語はなだらかに変調する。クライマックスの、ドラクロワレンブラントの名画を思わせる重厚な光線設計の救助誘導の場面へと導きだされたメッセージ性もまた、悪くないと今は思ってる。暗い通路で明滅する戦闘シーンのスタイリッシュさ、歯止めの効かない行動原理を象徴したカーチェイスなど、アクションもそれぞれちがう趣向が凝らされていて見ごたえがあった。

 

パワー・オブ・ザ・ドッグ ('21 イギリス、オーストラリア、アメリカ、カナダ、ニュージーランド/監督:ジェーン・カンピオン)

室内を撮る空気感、日常に潜む緊張がこれでもかと演出されているのが印象に残った。同じく人間関係でのやり場のない居心地の悪さも。聖書で説かれるところの“犬の力”への対処は人それぞれだが、完全に逃れることができないからこそなるべく自らを遠ざけろという事なんだと思う。同性愛者である事を自分自身で認めることができずに生きる西部のカウボーイを演じたカンバーバッチの、表情のみならず仕草や姿勢でまで表現した様子が忘れがたい。ただ、他者への攻撃性という現罪に対してのアプローチは、ふんわりとしたままで終わっているような感じもする。

 

バトル・オブ・ザ・セクシーズ ('17 アメリカ、イギリス/監督:ジョナサン・デイトンヴァレリー・ファリス

プロテニスの賞金の明確すぎる男女差に対して異議を申し立てた女子選手が、旬を過ぎた50代の男子選手のおちょくりめいた挑戦を受けて立ったという70年代アメリカの実話がベース。女性蔑視という根を持つ性差別が今よりさらに当たり前だった時代の空気の再現がこれみよがしさの無い自然さで、そうだ、悪意以前の態度の噴出だからこそ問題は深いのだと改めて気付かされる演出になっている。主人公のレズビアンの女子選手、人格的にも経済的にも頭の上がらない妻を持つ男子選手、双方を囲む登場人物たちすべてにこまやかに陰影が付けられており、脚本が非常に練られているために試合の行方が単なる勝敗のカタルシスを超えた、将来というそこにはない次元への希望が感じられた。特に性格描写が巧いと思ったのはそれぞれの配偶者たちで、結婚という引いて考えれば相当に不思議なシステムについてのパースペクティブにもなっていると思う。

 

2022年4月に読んだ本

フロイト、夢について語る

フロイトは名著『夢判断』のあとにもちょこちょこと夢と無意識とにまつわる論文を書いていたそうで、それらを集めた内容だけに(ん、先生その話まえにもしてなかった?)と読んでいて思わなくもなかった。それだけにフロイトの著作の良さが再確認しやすくもあって、まず先生は、自分自身の夢に対してもなかなか容赦なく無意識の現われを腑分けしている事。極めて率直な姿勢であると思う。(もっとも性にまつわる診断は入ってなかったけど)それから、フロイトの書く文章は医学論文にしてはかなり創造性が高いのではということ。要するに読み物として耐えうる、書き手の意思表明に満ちている。…それが発表時から後年にいたるまでの絶えざる粗さや強引さの指摘のもとになっているきらいはあるものの、やっぱり自分はフロイトが見出した無意識という領域の意義は大きいなと思う。

第64回2022春調査

アニメ調査室(仮)さんにて開催中。以下、回答記事です。

 

2022春調査(2022/1-3月期、終了アニメ、61+2作品) 第64回

01,殺し愛,x
02,ぷちセカ,x
03,東京24区,x
04,平家物語,S
05,オリエント,x

06,スローループ,x
07,トライブナイン,F 
08,プラチナエンド,x
09,マジカパーティ,x
10,王様ランキング,z

 

11,終末のハーレム,x
12,オンエアできない!,x
13,どすこい すしずもう,x
14,かなしきデブ猫ちゃん,x
15,リアデイルの大地にて,x

16,ドールズフロントライン,x
17,フットサルボーイズ!!!!!,x
18,おかしなさばくのスナとマヌ,x
19,ヴァニタスの手記 第2クール,x
20,トロピカル~ジュ! プリキュア,x

 

21,デュエル・マスターズ キング!,x
22,ミュークルドリーミー みっくす!,x
23,欠番 (削除不可),x
24,プリンセスコネクト! Re:Dive Season2,x
25,BanG Dream! ガルパ☆ピコ ふぃーばー!,x

26,ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン,B 
27,ありふれた職業で世界最強 2nd season,x
28,進撃の巨人 The Final Season パート2,A
29,現実主義勇者の王国再建記 第二部,x
30,新幹線変形ロボ シンカリオンZ,x

 

31,あはれ! 名作くん 第6シリーズ,x
32,その着せ替え人形は恋をする,x
33,異世界美少女受肉おじさんと,x
34,天才王子の赤字国家再生術,x
35,ハコヅメ 交番女子の逆襲,x

36,からかい上手の高木さん3,x
37,賢者の弟子を名乗る賢者,x
38,怪人開発部の黒井津さん,x
39,明日ちゃんのセーラー服,x
40,幻想三國誌 天元霊心記,x

 

41,半妖の夜叉姫 弐の章,F 
42,錆色のアーマ 黎明,x
43,失格紋の最強賢者,x
44,鬼滅の刃 遊郭編,B
45,佐々木と宮野,x

46,錆喰いビスコ,F
47,闇芝居 十期,x
48,遊戯王SEVENS,F
49,ルパン三世 PART6,F
50,最遊記RELOAD ZEROIN,x

 

51,時光代理人 LINK CLICK,F
52,ガル学。II Lucky Stars,x
53,(地上波初放送) 範馬刃牙,x
54,(全8話) 王子の本命は悪役令嬢,x
55,(全12話) 86 エイティシックス 第2クール,x

56,(特番4話) マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝 Final SEASON 浅き夢の暁,x
57,(ネット配信) ベイブレードバースト ダイナマイトバトル,x
58,(ネット配信) 爆丸ジオガンライジング,x
59,(ネット配信) 暗界神使,x
60,(WEB版) 俺、つしま,x

 

61,チキップダンサーズ,x
62,(ネット配信) 人形学園,x
63,のりものまん モービルランドのカークン,x

 

{寸評}

前期に続いて、あまり時間が取れない生活ということもあり、またもや途中で視聴を脱落するタイトルが多めになってしまった。後追いしたい作品はいくつもあるが、そこまでの気力みたいなものが自分にあるかは怪しい。

 

平家物語」S:精確には前期に配信視聴。企画としての確固たるオリジナリティ、絵巻物のように統一された画面づくり、歴史に埋もれがちな弱者としての視点をテーマにした現代性、そしてこまやかなアニメーション。まちがいなく20年代アニメの代表作のひとつになる。

ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン」B:総じて、徐倫が決意を固めるまでの前半回の方が面白い。が、それは原作における傾向かもしれないので。

進撃の巨人 The Final Season パート2」A:中盤はシリーズ構成も演出もやや緩めに感じられたが、ラスト3話はパーフェクトに研ぎ澄まされた出来。特に最終話は、ミカサの愛に迷う姿のAパート、世界を滅ぼす怪物(ひとりまたひとりと持ち場から逃げ出す砲兵の描写が雄弁)となり果てたエレンの異形が歪んだカタルシスを醸すBパートという趣向が素晴らしい。

鬼滅の刃 遊郭編」B:TVシリーズよりさらにクオリティを上げようという意気込みが十二分に発揮された箇所も多かったが、過去回想の入れ方はこれからは思い切って原作から自由にアレンジした方がいい気がした。

 

 

2022年3月に読んだ本

ゴーイング・ダーク

巧妙化が進むインターネット上の極右の動きに対抗するために、国家とも繋がりの深いシンクタンクに所属する若き女性である著者が時には自ら対象団体に潜入してその実態を探る。現在の過激主義組織のネット活動の手口とその目指す方向が分かりやすくまとめられたノンフィクション。しかし著者同様に暗澹たる気持ちと絶え間ない混乱とにさらされるのは、今でもそしてこれからも、現状体制へのゲリラ戦として自らの身元や目的を隠した種々様々で物量多数のネット工作が厳として実在している現実を直視せざるを得ないからだ。どうしてこうなったインターネット2.0。しかし本書はただ絶望して手をこまねく態度だけにとどまっているわけではない。フェイクニュースへの訂正や指摘など、心ある人々のボランティアによってインターネットの良心は完全に駆逐されずに済むかもしれないといったいくつかの具体策も結尾には提示されている。とはいえ、またしても暗い気持ちになるのは、インターネット過激主義に関わる若者たちがたいがいの場合は感じがよい普通の人々として描かれていること。そしてその発言や思考に、少なからず共感してしまう部分が自分に無きにしも非ずという点。