2022年7月に読んだ本

テュルリュパン

発達障害という症例概念が発見されていなかった近世のフランス。市民革命より100年も前に、実は王権転覆の気運は高まっていた。ではなぜそれが頓挫したか… という架空の起点により、からくり仕掛けのようにまわっていく一人の青年の運命が物語られる。前述したように、主人公は思い込みの激しい自分の脳内で構築した世界に耽溺しがちな、現代に生きていればASDの診断が下りそうな気質の持ち主。床屋を営む彼は、大家である未亡人の好意に気付くこともなく、とある切っ掛けで膨らむことになった貴種流離譚の主役であるという夢想によって、はからずも革命主義者たちの企みを阻害する行動を取っていくことになる。その大局観のなさが、からりとしたユーモアというか神の目線での淡々とした面白みというか、身内同士の目配せで楽しむ悪ふざけに堕さないペーソスで終始展開するのが読みどころ。しかし愚かだが誠実さも大いにあるテュルリュパン(なんて言いにくい名前だ)の自らの気持ちへの真っ直ぐぶりに胸打たれないこともない。そんな彼が、同じ市民階級の悲願の邪魔をするという皮肉。物悲しいような虚しいような愉快なような独特の読後感である。

 

安彦良和戦争と平和

戦争がテーマであるものの、安彦氏の主要な作品それぞれについてかなり内容に立ち入ってインタビューが施されていて、特に安彦漫画の全容をつかみたいという気持ちを最近持っていた自分にとってはとても読み応えがあった。右翼にも左翼にもなりきれない自分を客観視して作品上に反映させる安彦氏は、しかしとことん真面目な思想家で表現者だと思う。

 

嘘と正典

時間にまつわるSFを中心に編まれた短編集。表題作はマルクスエンゲルスの出会いを阻止しようとするタイムスリップ工作員というアイデアにワクワクする。ステージマジックをモチーフにした冒頭作の「魔術師」はレトリックが冴えていて忘れがたい印象を残す。最後の一文にテーマを濃縮させる爆発力には目を見張った。

2022年7月に観た映画

リコリス・ピザ ('21 アメリカ/監督:ポール・トーマス・アンダーソン)

美形でもなく不細工でもない歳の差カップル。少年の方はふわふわしたステージ志向の片親育ち、女の方は教義を守ることに口うるさい信仰家庭で親姉妹と同居。このトッピングは苦いというか変な味、だけどやっぱりピザは生地とソースがおいしくてやめられない!って。そういう映画。ここまで凸凹で歪なナンセンスすれすれの構成(ブラッドリー・クーパーが早朝の街角でゴミバケツにやつあたりしながらシームレスにナンパするあたりが頂点)なのに、心がふんわりと肯定感に包まれてすべてが腑に落ちた気分で劇場を出られる。映像の天才ってほんとうにいるもんなんですね。80年代のチープでカオスすれすれの社会流行を"いまその時"として演出してくる手際の貫徹ぶりは、『横道世之介』に通ずるものがあった。若い季節、若い時代。

2022年6月に読んだ本

パチンコ (上・下)

百年四世代にわたるとある朝鮮人一族の歴史。戦争と経済とを縦軸に、苦悩と後悔と愛情と歓喜とを横軸に用いた物語になっており、ここまで堂々たる大河小説はひさしぶりに読んだ。精緻な心理描写(特にとある人物が突然に自死する直前の様子が忘れられない)の屋台骨による、めくるめくドラマティックな展開の数々に魅了されてあっという間に読了した。主に血縁関係に生まれる愛情がテーマとなっているが、だからこそ例外的にあらわれる義理の親子の絆には格別な光が感じられるバランスが絶妙。はたまたビビッドな性愛の意味合いも必ずしも軽んじられてはいなかったりと、王道と脇道とを自在に行き来する技量はすでにして世界文学と呼んで恥じない堅固さ。…ただ、キリスト教の影響下でストーリーテリングされているためか、身持ちの悪い女性(名前の付いてない登場人物で顕著)に対して不必要に厳しい説明的描写がときおり挟まりそこはやや興ざめ。それにしてもである。大文字として表される「歴史」の中で、劣等感に打ちのめされつつ情念や展望を持つ「個人」たちが、不遇や祝い事を分かち合いつつ隠し事を常に持ちながら「家族」を成し、その中で如何ともしがたい「社会」という名の運命に翻弄されながらも生きて死んでいく。数多の無名の人生へのこの力強い肯定の文芸よ。

なお日本人読者としては、同性愛者である刑事の妻として愛情の不全感に悩む中年女性が公園での野外性交に惑わされる箇所での社会風俗のエキセントリックに留まる話ではないという着眼点や、作中のどんな所業よりも酷薄で人間性の低い行動をとる外資系サラリーマン上司の描写に収束する企業風土の問題性の大きさなどが、内側で暮らす視点では得られない鋭い切込みがされていて強烈に印象を残された。

 

平家物語  犬王の巻

平家物語」で語られた出来事から数百年後。忘れ去られていた敗者の声を謡い舞おうという二人が邂逅した。自分たちの身に掛けられた呪いを、芸能にして大衆とともに共有することで祝いへと昇華する。声なき声は大きなうねりとなり、個人の運命を超えて繰り返し押し寄せる"形"となる。…『平家物語』の覚一本を現代訳した後の古川日出男がさらなる章を書き足したという視点で捉えるとさらに趣きが増す。

 

気候変動がサクッとわかる本

過去と比べものにならないほどの速度で変化している地球の気候をテレビでも活躍する天気予報士たちが分かりやすく解説。ほのぼのとしたページレイアウトと装丁デザインなだけに、かえって危機感が伝わってきたような気がする。

第65回2022夏調査

アニメ調査室(仮)さんにて開催中。以下、回答記事です。

 

2022夏調査(2022/4-6月期、終了アニメ、50+1作品) 第65回

 

01,CUE!,x

02,であいもん,x

03,パリピ孔明,x

04,SPY×FAMILY,x

05,トモダチゲーム,x

 

06,ヒーラー・ガール,x

07,じゃんたま PONG☆,x

08,かぎなど シーズン2,x

09,デート・ア・ライブIV,x

10,まちカドまぞく 2丁目,x

 

 

11,群青のファンファーレ,x

12,サスとテナ シーズン2,x

13,くノ一ツバキの胸の内,x

14,このヒーラー、めんどくさい,x

15,ダンス・ダンス・ダンスール,x

 

16,おしりたんてい 第6シリーズ,x

17,BIRDIE WING Golf Girls' Story,x

18,エスタブライフ グレイトエスケープ,x

19,八十亀ちゃんかんさつにっき 4さつめ,x

20,乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です,x

 

 

21,骸骨騎士様、只今異世界へお出掛け中,x

22,かぐや様は告らせたい ウルトラロマンティック,x

23,邪神ちゃんドロップキック まめアニメ (北海道編),x

24,ヒロインたるもの! 嫌われヒロインと内緒のお仕事,x

25,本好きの下剋上 司書になるためには手段を選んでいられません 第3部,x

 

26,理系が恋に落ちたので証明してみた。 r=1-sinθ (ハート),x

27,ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期,x

28,ビルディバイド #FFFFFF (コードホワイト 2期),x

29,ブラック★★ロックシューター DAWN FALL,x

30,史上最強の大魔王、村人Aに転生する,x

 

 

31,社畜さんは幼女幽霊に癒されたい。,x

32,盾の勇者の成り上がり Season2,x

33,可愛いだけじゃない式守さん,x

34,古見さんは、コミュ症です。,x

35,舞妓さんちのまかないさん,F

 

36,阿波連さんははかれない,x

37,恋は世界征服のあとで,x

38,処刑少女の生きる道,x

39,境界戦機 第二部,x

40,魔法使い黎明期,x

 

 

41,勇者、辞めます,x 

42,薔薇王の葬列,F

43,RPG不動産,x

44,パウ・パトロール シーズン4,x

45,(4月終了) リーマンズクラブ,x

 

46,(4月終了) SHAMAN KING (シャーマンキング),F

47,(全8話) 3秒後、野獣。 合コンで隅にいた彼は肉食でした,x

48,(ネット配信) みにヴぁん ら~じ,x

49,ファンタスティック・プリズン,x

50,(特番) Dr.STONE 龍水,x

 

 

51,おにぱん!,x

 

<総評>

今期は…「ちいかわ」しか視てませんでした!こんなシーズンは初めて。

 

<追加評価>

64-51,時光代理人 LINK CLICK,B

(寸評:中国の現在を切り取った情景やテーマが新鮮(特に戸を大きく開け放して夕食を食べる農村風景が佳かった)、スポーツ作画も目を引く箇所が見られ、そして肩の凝らないサスペンスものとして娯楽性が高かった)

 

 

2022年6月に観た映画

オフィサー・アンド・スパイ ('19 フランス/監督:ロマン・ポランスキー)

全編に渡って演出と撮影に抑制が効いており没入感がすごい。歴史に名高い「ドレフュス事件」の内容についてはほとんど知識がなかったが、最低限の説明で理解ができるように作られていて、その中で清いわけでも腐りすぎているわけでもないパーソナリティを持つピカール陸軍情報部長が主役として置かれる。正義感からというより、なんとはなしの職業的な違和感を起点に冤罪の解明に挑むというサスペンスにゆるやかに入っていく。19世紀末のフランスの場面によっては半ば公然とユダヤ人差別の言辞がとびかう危うさは、ヘイトスピーチが日常に浸食してきている現代の空気と重ねられる。ピカールは、ユダヤ人ながら優秀な成績を修めて幹部候補となったドレフュスの学生時代の担当教官でもあったという縁の導き、また彼個人のギリギリの民主主義への矜持でもって結果的に正義の一線は劇中において(また、その下敷きとなった史実においても)引かれることとなる。それがどんなに稀有で危ういことかは、ピカールの数々の苦難の展開で派手な演出や明快なセリフがなくとも観る側に沁みてくる。沈んだ色彩と均一な光線で淡々と描かれる英雄映画。ラストシーンの愛人(彼女との直接的な濡れ場がなかったのも好みだ。別に必要ない描写だし)との会話であえて定石を外すような趣向ともども、堪能いたしました。ポランスキー、いろいろモヤモヤするクリエイターになってしまったけど本作は問答抜きで傑作。ところでピカールとかつての副官が決闘するシーン、これまで見てきたレイピアの殺陣でいちばんリアルに感じられた。あんなん刺さったら痛くて動けなくなっちゃうよー …しかしこの決闘シーン、テーマ上ではクライマックスだったかもしらん。副官はまだ人間として腐り切っちゃいない部分があったからこそ、最終的には理解しあえる可能性が出てきた。だから屋内馬場でのシーンは美しい。ひるがえって街角でつかみかかってくる売国奴の方は掬いようもないってことやね。後者はともかく、前者をいかに民主主義の原則へ引き寄せるか。これは現実社会での大きなヒントでもあると思う。

OVA「真(チェンジ!!)ゲッターロボ 世界最後の日」('98/全13話 監督:川越 淳)

ついにゲッターロボOVA三作の起点たるチェンゲまでさかのぼってきた。たしかBS放送で視た時は第1話で挫折し、それからも配信で3、4回は試みが途絶した自分にとってはまあまあの曰くつき作品である。なにしろ画面の中でキャラクターが何をやっているか、敵対関係の構図、物語展開の把握、すべてに着いていけなかった。かてて加えて、EMOTIONレーベル15周年記念作品という鳴り物入りとして当時から注目された分、さまざまな毀誉褒貶や噂話がインターネットの匿名掲示板や同好グループの知人などから流れてきており、なんとなくの先入観も多少あった。それらを真に受けているということはさすがに無いが、実際に本編を鑑賞していて制作現場の混乱を感じざるを得ない瞬間が多々あったのも事実。…やはり情報量がいろいろと多すぎる作品である。

さて本編プロローグにあたる第1話~3話だが、いたずらに時間軸を行きつ戻りつする出来事描写の分かりづらさ、同じようなことを何度も思わせぶりに語る早乙女博士が画面に映るたびに戸惑うなど、とにかく視聴が滑らかに行かない。だが、シリーズの見通しが完了した今はあのプロローグ部分は、この作品のみならず他ゲッター作品に対しても多大な影響を与えていたのではないかと見えてきた。先に結論を述べておくと、OVA展開にあたって真っ先に目論まれたのはそれまでに様々な媒体で発表されてきた「ゲッターロボ」を壮大なサーガ、つまり叙事詩として編み直すことによる魅力の核心の炙りだしであったということだ。物量作戦として乱舞する量産されたゲッタードラゴンたち、その中心部の高いところから年若い者たちを睥睨し、託宣めいた言葉を吐く仁王立ちの早乙女博士 --彼はゲッターロボサーガにおける科学面の司令塔であり、ゲッター線というオカルトの大祭司である--。はっきりいって何を言ってるのか、やりたいのかさっぱり分からない。(おそらく再度観直しても同じ感想を抱くと思う)ここにシナリオの構築不足をみてとることに私は躊躇はないが、だが映像インパクトとしてはおそらく成功している。正気を失ったとしか思えない早乙女博士(そもそも当初は死亡扱い)、どういう因果で対立したのかまるで筋が通ってないままキメ顔で銃を突きつけあう竜馬と隼人、あれよあれよという間に戦闘の余波で死亡する武蔵。ぜんぜん話の筋がつかめないが、不思議と石川賢が描いてきた漫画版の印象は踏襲されている。そしてなんとなく雰囲気が壮大だ(音楽もオーケストラ曲を多用)。…このオペラステージを見ているような或いは宗教画の異時同図法をほうふつさせるような、イメージだけを奔流させた導入部。どこまで企図された趣向かははかりかねるが、リリースから20年経った今でも語られることの多い作品となった十分な理由に値すると思う。印象を残すための映像としてかっこよければそれでいい。実際それで「ゲッターロボサーガ」が後年まで長く語られることへのレールは十分敷かれたのだ。

さて第4話以後の内容については、印象でいうとプロローグ部よりも薄いと言い切ってもいいかもしれない。脅威であるインベーダーの執拗な襲来を振り切りながら、ロードムービー的に移動しつつ早乙女博士の乱心の謎とインベーダー襲撃の目的とを解いていく。ストーリー面の評価としては、筋の綾目が掛け違っているように感じられたり(前述通り、早乙女博士の殺害にまつわる機序が明確に説明されない上にエピソードとしての必要性があやしい)、設定の必然性に首を傾げたり(クローン体である號のオリジナルがミチルであるのはまあ良いとして、なんでそこに父親である自分の細胞情報を混ぜ込むの?)、アポカリプス世界での組織系統の描写が省かれているためにメインキャラたちの行動原理が掴みにくかったりと、話数どおりに順番に視ていてもあまりスッキリとこない(またはこれはOVA全盛期に散見された"船頭多くして船山に上る"状態が製作が進む中で起こったのかもしれない。所詮は推測に過ぎないが)。それぞれのエピソードとしてもどこかで見たような筋のものが多く、特に出色といえるものはない。だがアニメとしての見どころがないわけでは決してない。3、4話に一度の割合で巡ってくる充実した作画回においてのロボットアクションは、他のゲッター作品と比べても特長がはっきりとある。オブジェクトとしての重量感のあるロボットが人物的に躍動するアニメート、建工重機のような操縦ギミックから漂ってくる独自の臨場味、かいつまんで評するとリアルな質感とガジェットの醍醐味とが絶妙に共存している。本作が海外のアニメファンに人気があるという秘訣もここにあるのではないかと想像される。また、どのシリーズでも子供を成した描写もない弁慶が、ヒロインである渓の育ての親として存在感を放っている大胆な脚色。90年代から00年代にかけてのエヴァンゲリオン・ブームにあやかって様々な作品で頻出した綾波レイマクガフィンとしての號と、因縁浅からぬ溪との陰陽図にも似た関係性の美しさ、損壊されても繰り返し襲ってくるインベーダーの生理的嫌悪感を誘う執拗なまでの不定形描写など。残念ながら不完全燃焼に終わったテーマ処理が多いながらも、作画・演出の独自性や強い印象を残したキャラクター描写は片手の指では足りないほど挙げられる。

そして終盤のクライマックス、舞台を宇宙空間に移してふたたび序盤に引けを取らないめくるめくロボットバトルがこれでもかとインパクトを叩き込んでくる。中盤の冴えなさもこれで完全に帳消しである(当時ディスクを一枚ずつ購入していた人にとってはそう単純ではないとは思う)。終わりよければ総てよし。本作のこの最終話の圧倒される充実ぶりは、ゲッターロボ作品では恐らくずば抜けているのではないだろうか。説明は足りてないままだし理屈はよく分からないけど、とにかく大団円! ロボットアニメはこういうのでいいんだよ。(あらゆる異論は認める)

とはいえ、せっかく批評するにあたっていまいちど概論はしておかなければいけないと思う。チェンゲとはゲッターロボ作品史において何だったのか。それはサーガ(神話)の開門部にして、見取り図だったのではないだろうか。第1話から第3話までと、最終話での激しい戦闘はそれぞれ新・旧のラグナロク北欧神話でいう神々の黄昏にあたる。竜馬たちオリジナルゲッターチームが果たせなかった"神殺し(≒父親超え)"を十数年後に號を筆頭とした新たなメンバーが達成するという筋をシリーズ構成の柱としてあててみると、それなりにコンセプトが理解できるのだ。なお、ここでいう「神/父親」とはすべてにおいて偉大な早乙女博士であり、スティンガー&コーエンに象徴される既存の価値基準(人類は生き残りのためにインベーダーと共生『せねばならない』という固定観念)が内容となる。偉大なる父を超え、過去の世界を刷新する神殺しを過去の恩讐を超えてメインキャラ全員で成し遂げて、かつてのゲッターチームたちは別の次元へと旅立っていく。號や渓に剴たちが切り拓いていく新時代のビジョンがまったく示されないまま閉幕したことも、かえって清々しさを覚えると肯定も可能なのである。そして当初(からあったと想像されるところ)のコンセプトを制作の混迷の末に完遂した本作はその歪な出来ゆえにかえって溢れ出るパワーを視る者に伝えてくる快作となった。この外側の状況もまた、成り立ちが神話的といえないだろうか。

 

追記ゲッターロボOVA三作の趣向をそれぞれ1フレーズで表すなら『ヒロイック』(チェンゲ)、『アミューズメント』(ネオゲ)、『ピカレスク』(新ゲ)。まったく異なるコンセプトで相互に際立たされている事がわかる。またこれらは"ゲッターロボサーガ"に見出される要素そのものであり、ごった煮されたカオスな様相そのものがエンタテインメントを成すゲッターロボの魅力が直観的に示された三位合体であると今は理解できた。)

(追記のさらに追記:なお、別の表現で分類するなら三作は『バロック』『ポップ』『ゴシック』)

補足:記事中で北欧神話がコンセプトに入っているのではないかと特にソースもなく推測したが、チェンゲにおける早乙女博士は片目が髪で隠れているデザインがデフォルトとなっており、これは隻眼のオーディン神をほうふつとさせる。興が乗ったので、そこから他のキャラを北欧神話の諸柱に充ててみた。ミチル→ヨルズ<オーディンの娘にして妻でありトールの母>、號→トール<北欧神話最強の戦神。雷をつかさどる>、渓→フレイヤ〈やはりヒロインたるもの、北欧神話でもっとも有名な女神を。戦の女神でもあるみたいだし。オーディン神の対概念であるという説も〉、竜馬→ロキ<チェンゲでの彼はトリックスターだと思う。従来のキャラとは役目が反転してる気もするけど。正体不明として(瞬間含む)登場する展開が複数あるのが変身を得意とするロキっぽい>、隼人→ヘイムダル<世界の見張り番である神。ラグナロクの訪れを告げる役目を持つ。ロキとは因縁がある>)

 

2022年5月に観た映画

犬王 ('21/監督:湯浅政明)

湯浅作品にありがちだった、ドラマの求心力の薄さが本作にはまったく無くてその時点でこれはただ事ではないのだと悟った。自分の運命の根本を探す主人公ふたりは、将来という名の行く先を求めようとしない。興奮の絶頂へ大衆に同行こそ求めるが理解も同情も求めない(だからこそ処刑現場での見物人たちはさして露悪的にも、その逆に感傷的にも描かれない)。怨霊も欲望もすべては昇華されると信じることが芸道だから、この映画ではそう描かれる。これはスクリーンで体験する精霊流しフェスティバル。惨い展開や生臭いまでの人体の質感が山のように入っていたのに、なぜこんなに観た後さわやかなんだろう。まるで本当に夏祭りに見る影絵劇に集ったかのようじゃないか。芸能のひとときだけ人間はお互いにこしらえた壁を融解することができる。それは形として残らないとしても、決してなかったことにはならないんだ。映画を観た。誰でも作れるわけではない純正体験としての映画を観た。(…ただ、『鯨』の演目をプロジェクションマッピングのようにみせるシークエンスはもっと時代考証に沿う工夫がほしかったところ。あまりにも現代の仕掛けと遜色のない描き方だったので、没入感がやや妨げられた。)

 

RE:cycle of the PENGUINDRUM 前編「君の列車は生存戦略」('22/監督:幾原邦彦)

テン年代アニメのアイコンといって過言ではないピンドラとは何だったのか?それを探るために不肖ロートルわたくしは単身近場の劇場へと向かった。エピソードの8割への印象をすでに亡失していた事には気付いたが、冒頭に挙げた疑問への答えは見つからなかった。しかし待てそして希望せよ。後編がまだあるのだ。…ひとつ、劇場版に編集し直された点への感想を述べれば、10年の歳月を経て再起動する企画が結実した今になって、作品に念入りにまとわせたポップさの膜を作り手自身が薄く剝ぐ決断は刮目に値するなと。編集テンポがテレビシリーズよりほんの、ほんっのっ少し遅くなる(あるいはモニタースケールの違いにより間延びする)ことにより、生活感が各シーンに付け足されているのだ。大女優のゆりの豪華マンションは何か空虚で、そして高倉兄妹の貧しさは切実なものへと微妙に寄っている。そしてギャグ演出ではなにか無理にはしゃぐような"演技"の気配が漂いだす。これらは、単なる気のせいではないと自分は思っている。

 

湖のランスロ ('74 フランス、イタリア/監督:ロベール・ブレッソン)

熱量の低い騎士の殺人行為で幕開け。カーンガンカンブシャー。不倫で抱き合う王妃と筆頭騎士のシーンもだが、音楽で盛り上げようとせずにただ間近で透明人間がじっと見つめているような距離感で撮られた演出(人物の動きもあえてキレが悪いというかケレン味がない)は、当時には斬新だったのだろうか。映画史に疎くて分からない。興味のある題材だったのでつまらなくはなかったけど、特に感じ入ったわけでもなかったですハイ。フランス語読みの円卓の騎士たちは新鮮だった。アルテュス王。ところでランスロの最期がどんな伝承とも違った気がしたんだけど、あえてリアルに考えたらこういう感じでしょというのを映像詩にするという趣向なのかな。

 

家をめぐる3つの物語 ('22 ベルギー、イギリス、スウェーデン/監督:マーク・ジェイムス・ロエルズ&エマ・デ・スウェフ、ニキ・リンド)

ストップモーションアニメのオムニバス。家屋敷や不動産への執着を、時代を変えてドラマにしている。捻りの利いた…というか皮肉な視点でキャラクターが取り扱われ、バッドエンドで章の幕が下りたりして、人形アニメに付随していた先入観を裏切る意外性が鮮烈だった。そしてセットやキャラクターモデルが質感たっぷりですごく良い!特に第二章主人公のネズミさんが…すっごくドブネズミしてて良い!!(この章は虫回でもあるので、苦手な方はほんとうに悶絶ものだと思う)…全体的には固定資産への執着という現代人にとってまことに切実なテーマを容赦なく裁断する内容なのだが、ちょっとしたカタルシスも用意されているので、やはり最後の第三章がいちばんおススメ。猫が好きな人らが作ってるんだなーというニヤニヤ面も大いにあるよ。