2022年5月に観た映画

犬王 ('21/監督:湯浅政明)

湯浅作品にありがちだった、ドラマの求心力の薄さが本作にはまったく無くてその時点でこれはただ事ではないのだと悟った。自分の運命の根本を探す主人公ふたりは、将来という名の行く先を求めようとしない。興奮の絶頂へ大衆に同行こそ求めるが理解も同情も求めない(だからこそ処刑現場での見物人たちはさして露悪的にも、その逆に感傷的にも描かれない)。怨霊も欲望もすべては昇華されると信じることが芸道だから、この映画ではそう描かれる。これはスクリーンで体験する精霊流しフェスティバル。惨い展開や生臭いまでの人体の質感が山のように入っていたのに、なぜこんなに観た後さわやかなんだろう。まるで本当に夏祭りに見る影絵劇に集ったかのようじゃないか。芸能のひとときだけ人間はお互いにこしらえた壁を融解することができる。それは形として残らないとしても、決してなかったことにはならないんだ。映画を観た。誰でも作れるわけではない純正体験としての映画を観た。(…ただ、『鯨』の演目をプロジェクションマッピングのようにみせるシークエンスはもっと時代考証に沿う工夫がほしかったところ。あまりにも現代の仕掛けと遜色のない描き方だったので、没入感がやや妨げられた。)

 

RE:cycle of the PENGUINDRUM 前編「君の列車は生存戦略」('22/監督:幾原邦彦)

テン年代アニメのアイコンといって過言ではないピンドラとは何だったのか?それを探るために不肖ロートルわたくしは単身近場の劇場へと向かった。エピソードの8割への印象をすでに亡失していた事には気付いたが、冒頭に挙げた疑問への答えは見つからなかった。しかし待てそして希望せよ。後編がまだあるのだ。…ひとつ、劇場版に編集し直された点への感想を述べれば、10年の歳月を経て再起動する企画が結実した今になって、作品に念入りにまとわせたポップさの膜を作り手自身が薄く剝ぐ決断は刮目に値するなと。編集テンポがテレビシリーズよりほんの、ほんっのっ少し遅くなる(あるいはモニタースケールの違いにより間延びする)ことにより、生活感が各シーンに付け足されているのだ。大女優のゆりの豪華マンションは何か空虚で、そして高倉兄妹の貧しさは切実なものへと微妙に寄っている。そしてギャグ演出ではなにか無理にはしゃぐような"演技"の気配が漂いだす。これらは、単なる気のせいではないと自分は思っている。

 

湖のランスロ ('74 フランス、イタリア/監督:ロベール・ブレッソン)

熱量の低い騎士の殺人行為で幕開け。カーンガンカンブシャー。不倫で抱き合う王妃と筆頭騎士のシーンもだが、音楽で盛り上げようとせずにただ間近で透明人間がじっと見つめているような距離感で撮られた演出(人物の動きもあえてキレが悪いというかケレン味がない)は、当時には斬新だったのだろうか。映画史に疎くて分からない。興味のある題材だったのでつまらなくはなかったけど、特に感じ入ったわけでもなかったですハイ。フランス語読みの円卓の騎士たちは新鮮だった。アルテュス王。ところでランスロの最期がどんな伝承とも違った気がしたんだけど、あえてリアルに考えたらこういう感じでしょというのを映像詩にするという趣向なのかな。

 

家をめぐる3つの物語 ('22 ベルギー、イギリス、スウェーデン/監督:マーク・ジェイムス・ロエルズ&エマ・デ・スウェフ、ニキ・リンド)

ストップモーションアニメのオムニバス。家屋敷や不動産への執着を、時代を変えてドラマにしている。捻りの利いた…というか皮肉な視点でキャラクターが取り扱われ、バッドエンドで章の幕が下りたりして、人形アニメに付随していた先入観を裏切る意外性が鮮烈だった。そしてセットやキャラクターモデルが質感たっぷりですごく良い!特に第二章主人公のネズミさんが…すっごくドブネズミしてて良い!!(この章は虫回でもあるので、苦手な方はほんとうに悶絶ものだと思う)…全体的には固定資産への執着という現代人にとってまことに切実なテーマを容赦なく裁断する内容なのだが、ちょっとしたカタルシスも用意されているので、やはり最後の第三章がいちばんおススメ。猫が好きな人らが作ってるんだなーというニヤニヤ面も大いにあるよ。