2021年5月に読んだ本まとめ

〈わたし〉は脳に操られているのか

 脳が単なる電気信号のやり取りで動くシステムに過ぎないのなら、人間の感情や“自由意思”に果たしてこれからも意味を見出せるのか?という命題をめぐる考察。各章の冒頭に示される個別の具体例は読みごたえがあったが、仮説を検討して主張を立てていく醍醐味はやや薄かった。

2021年3月に観た映画まとめ

シン・エヴァンゲリオン劇場版:ll ('21/監督:庵野秀明摩砂雪鶴巻和哉前田真宏中山勝一)

ラストシーンが寂しくもあり爽やかでもあり感無量。色々と衝撃を振りまいてきた本シリーズがこうしてジュブナイルとして大団円を迎えた事に、様々な困難を越えて形を為したスタッフ諸氏に、90年代に青春を送った者として感謝を述べたい気持ちで満たされた。同じ女としては、リツコやミサトのテレビシリーズからの吹っ切れ方に快哉を送りたい。前半の農村風景と、後半の量子論SF世界をメカ描写の力で結びつける剛腕もギリギリ成功。

 

あのこは貴族 ('21/監督:岨手由貴子)

平熱で綴られる端正な東京の日常。すれ違いの出会いで人生を変えられる瞬間の密度こそ、東京という複雑な層の街の本質であり、日本人にとって東京が単なる首都以上のアイコンであることの意味でもある。令和の「東京物語」。たった一人の理解者がいれば生きていける街。人も街も顔は一つだけじゃないと教えてくれる場所。ところで、主人公の一人の実家の地に足が着いた裕福さを映した諸シーンが特に秀逸。いっけん手が届きそうな箇所にこそ格差のエッジは潜む。その裏面として洗面台に喀痰されるシーン。

 

すばらしき世界 ('21/監督:西川美和)

職場で徒党を組んでだれかをいじめる時、どんな顔をすればいいか分からない。分からないことさえ責められる社会においていかに“正しく”生きればよいのか。そんな悪い意味でも広く野放図な世の中を、心の中でどう受け止めればいいのか。そしてどう名付ければ落ち着くのか。主人公が刑務所という一つの安寧の地から旅立ち(雪舞う白い空)、嵐の宵に雲厚い空に昇っていった生のシークエンスを考える時、為されなかった仕草、発せられなかった言葉の意味が手渡されてくる。喧嘩相手の耳をかじる役所広司の演技はまさに憑依されたかのようで、そして映画としてのエロスを一手に負ったキムラ緑子のささやきがいつまでも耳元にリフレインする。力強さと軽妙さを併せ持った重奏の作品。人がしゃべる事そのものがそもそも滑稽なのだ。だからシリアスな状況でも笑いは常にしのび込む。

 

〈ネット配信で視た映画〉

蜘蛛の巣を払う女 (’18 イギリス、ドイツ、スウェーデン、カナダ、アメリカ/監督:フェデ・アルバレス)

人類とその生存空間が恐ろしくなる前作よりもグッと安心して観られる。こちらの神経過敏がやや収まったリズベットも自分は嫌いじゃない。でもなー。やはり一言でいうと凡庸なサスペンスアクションと評してしまうのに吝かでなかった。

 

2021年2月に観た映画まとめ

ウルフウォーカー ('20 アイルランドルクセンブルク/監督:トム・ムーア、ロス・スチュアート)

劇中の敵対関係の寓意面が自分にはあまりピンとこなかった。アニメとしてのビジュアルはかなり好みなんだが。オチもあまりに予定調和すぎる。簡単な決着はないよという具合の方が納得できた。同スタジオの「ブレッドウィナー」のように。

 

国葬 ('19 オランダ、リトアニア/監督:セルゲイ・ロズニツァ)

うん、予想よりずっと寝た。だがその“社長の葬式フィルムを全社あつめられた文化ホールで見せられる感じ”が、ドキュメンタリーの中で延々と列を歩かされるソ連国民とマッチして、自分がその場に立って表情の作り方、退屈のしのぎ方に困っているような逆アトラクション感はあった。

2021年4月に読んだ本まとめ

炎と血 (Ⅰ,Ⅱ)

炎と血 Ⅰ

炎と血 Ⅰ

 
炎と血 Ⅱ

炎と血 Ⅱ

 

 当世最高の異世界ファンタジーシリーズ「氷と炎の歌」のスピンオフである前日譚。学僧が綴る歴史文書の体裁を取ることで、よくある中世風ファンタジーの陳腐さから逃れ、あまつさえ叙述ミステリの手法によって読者の想像の領域をより膨らませてくる。そして読者は、本伝主人公の一人デナーリス王女の数世代前の祖先が戦乱と謀略の中をそれぞれの個性をむき出しに生きた時代へと、時に繊細に時に荒々しく描くマーティン節により本の中の世界に没頭し、戦慄したり嘆息したりする。こんな歓びは本当に、本当に他にない。マーティン兄貴は神。創造主。ターガリエン家は良くも悪くも激しい性分を受け継ぎ、なかでも女性たちの自我の強さは男性陣以上に印象に残る。しかしその特権階級としての呻吟は、時代モデルである現実の近世で言葉のひとつ、悲鳴のひとかけさえ遺らなかった市井の女たちへの想像さえ読者の鼓膜に反響させる。桁違いの作家を浴びたければ、本伝を読んでなくともこちらを先に手に取るべし。

 

最近読んだ漫画いろいろ その3

バクちゃん (全2巻)

宇宙港経由でバク星から東京へ叔父を頼りにやってきたバクちゃん。希望を浮かべて不安を手に地上へ降り立つギミックのレトロフューチャーにまずホンワカするが、住民に混じってしまえばそこで出会う無理解な視線や、理不尽な境遇はどうしたって避けられない。これはバク星人のこども、バクちゃんが見つめる街の点描ワンシーズン。拒絶や失敗は苦いけど、一歩踏み出さないことにはその場所を愛せるかどうかも分からない。だからバクちゃんは今度は誰かを手助けできる側になりたいと気付く。生きる場所を選べない人、行きたい所を目指す人どちらものために。ところでバクちゃんが下宿先を見つけたり、自治体主催のグループワークに参加したりする様子は、生活の手触りに満ちていてワクワクするのよ。


ゆりあ先生の赤い糸 (既刊8巻)

刺繍教室を営みながら、夫と義母の三人暮らしでそれなりに穏やかな幸せを感じていたゆりあに、夫が不倫の最中に脳卒中で倒れたという青天の霹靂が走る。しかし驚愕はさらに第二弾、第三弾と畳み掛けられていくのであった。真性サバサバ女子50歳のゆりあ先生を中心に突発的ニューファミリーが編成されていくという、少女漫画とレディースコミックと社会思考実験とがギザギザと領域侵犯しあうコメディ。儚げに揺れる心とふてぶてしいまでの生命力を持つキャラクターの掛け合いは、非常にドラマ化に向いているだろうなとも思う。家庭とは一つの規範しかないのか、女は閉経したかどうかで自意識が定まるのか。今度はゆりあ先生が進撃する番です。

最近読んだ漫画いろいろ その2

ニュクスの角灯 (全6巻)

ニュクスの角灯 (1) (SPコミックス)

ニュクスの角灯 (1) (SPコミックス)

 

明治時代、伯父の家に預けられた美世は不思議な風体の道具屋に出会う。これは黒髪のアリスと金髪のアリスが、三月ウサギの手引きで鏡合わせに知りあう物語。ベル・エポックの風はきっと極東のこの国に届いていたし、逆に吹き返した美の手技は大いに西洋の通人たちを唸らせた。その後に爆弾の応酬があろうとも、再び交流ははじまる。懐中時計は何度も遡る。…内気だった美世がひとまわり歳上の百年を慕う気持ちの引いては寄せる様子と、高級娼婦で鳴らしたジュディットが運命に抗おうとして諦めかける一進一退とがうねるように描かれてやがて交差する。大河少女漫画の演出がザックリとしたペンタッチと合わさって独自の空気感に。

 

竜女戦記  (既刊2巻)

竜女戦記 1

竜女戦記 1

 

江戸時代の習俗モデルとファンタジー世界設定が混淆しており、ときおり戸惑うが解説はそれなりに分かりやすく機能。なによりキャラクターが生き生きとしているので、陰惨な描写や荒唐な展開に引っ掛かりなく作品内に没頭してしまう。武士の妻おたか、彼女の潜在するヒロイックさにどうしたってワクワクするではないか。第2巻から登場する(明らかにティリオン・ラニスターをオマージュした)異形の切れ者と高慢な姫君のペアも一つの古典様式でいてこれまでにない関係性を漂わす。さて三頭の竜が眠る国の玉座は誰の手に。

 

高丘親王航海記 (既刊3巻)

高丘親王航海記 II (ビームコミックス)

高丘親王航海記 II (ビームコミックス)

 

2巻まで読了。人物のうっすらとした描線と輪郭の淡くかたどられた背景によって、外界と内界とはたやすく往来する。皇子の位をかつて剥奪された主人公にとっては、世界も自我も、信仰というお題目すらも段々にあやふやになっていく。供の者たちと巡る奇妙極まる島々の、悪夢のようであり楽園のようでもある様子はもはやサイケデリック近藤ようこはどこまで自由になっていくのか。

 

 

 

 

 

 

最近読んだ漫画いろいろ

難波鉦異本 (上・中・下)

難波鉦異本 中 (HARTA COMIX)

難波鉦異本 中 (HARTA COMIX)

 

 読みは“なにわどらいほん”。元ネタとなった江戸時代の読本『難波鉦』はドラ息子の視点から遊女の世界を覗いた内容だそうで、この“異本”は逆に遊女から見た世間という切り口で描かれている。短編で綴られたその機微は、歴史・社会・親子・恋情・階層・芸能・風俗と津々浦々。ここまで元禄時代の空気が身近に感じられた読み心地は覚えがない。自由を制限された遊女の身を自覚しながらも、自律を常に念頭に置きつつ浮世を味わい尽くそうとする主人公の『和泉(いずみ)』と、大坂新町遊郭の文化の独特さと、囲いの外と変わらぬ人情の機微。絵柄の湿っているようでさらりと常に風が吹き流す絶妙さも全てがピッタリと調和した傑作。自分が特に推すエピソードは、落城から始まる大坂に息づく負け越しの気風をフィーチャーした「敗者の町」と、やり手婆の過去の無情幕から現在の人情劇に落着する「篭のムシ」。人間は墜ちてからが本番。

 

いちげき(全7巻)

いちげき (7) (SPコミックス)

いちげき (7) (SPコミックス)

 

映画化進行中とのアナウンスが出た、幕末が舞台の本格時代劇。殺人技としての剣劇がこれでもかと頻出し人体損壊も容赦がないが、セリフの掛け合いが常にリアルな間合いのコメディ要素となっているので余分なストレスがなく、高い娯楽性と強い命題とが最後まで保たれる。身共も何を最後まで守るかだけは決められる生き方でいたいね。

 

コーポ・ア・コーポ(既刊3巻)

コーポ・ア・コーポ 1 (MeDu COMICS)

コーポ・ア・コーポ 1 (MeDu COMICS)

 

 昭和普請の風呂なし安アパートに暮らす老若男女とその周辺の人々ののんべんだらり時折深淵。なんとなく不登校になり母や祖母に嘘をつく形になる少女が自立を試みる直前のいくつぶかの涙など、市井で出会うほんの心変わりの瞬間が鮮やかかつ静かに切り取られるコマ運びに天性を感じる。おそらく平成生まれのまだ若い作者(ツイッター観察)だと思われるが、月刊ガロで一時代を形成した安部慎一つげ義春・忠男兄弟の湿り気のあるコントラスト演出からの影響が感じられるなど、積み重ねられた漫画文化の咀嚼の高いリミックス手法がストーリーから浮いていないあたり、今の俊英漫画家ほんと怖い。才能天井知らずやん。とにかく宮地さんの少年時代の回だけは読んでほしいですね。第三巻収録です。そして性も死も裏切りも出るが、弱者の足をひっぱる人の淀みだけは出てこない。そこに覚悟のすわった作品への愛がある。