2023年6月に読んだ本

マナートの娘たち

アメリカ人として生まれ育ったアラブ系二世の眼から見た日常の姿を活写する鮮烈な短編集。映画産業のインターンとして夢と希望を持った女性が現実を徐々に知る『懸命に努力するものだけが成功する』の生々しさと苦々しさ。アラブ系住民が多く住む街で起こった誘拐事件を端緒に、誰もが意識の下に隠れ持つほの暗く不可解な衝動を描きだす『失踪』、2011年のあの日あの時の空気を人種が混淆しつつ流動的な人間関係のコールセンターというひとつの職場を用いて焼き付ける『サメの夏』が特に印象が強い。


文明交錯

スペインの侵略に蹂躙されたインカ帝国。その要因として挙げられる、銃・鉄・馬・病原菌。それらへの対策がすでにヨーロッパ勢の上陸前からある程度仕上がっていたら…というifから展開される歴史改変小説。一人称による筆記スタイルが主な構成なので、主観から見た世界として違和感がほとんど解消されており、たとえばカール五世が太陽神の生贄台に架けられてしまうという強烈なシーンもそれなりに自然な展開として受け止められるし、皇帝アタワルパが無惨な最期をとげない流れにも“十分あり得たかもしれないアナザー”として納得ができやすい。そして、史実よりも権力バランスが緩やかな世界で、“新世界”への自由な航海に出ようとするセルバンテスが視点主人公の最終章。文学はなによりも自由な魂の冒険。そこから生まれるものは即効性は薄いかもしれないが、きっと現実にさざ波を立ててくるという自己言及性の感じられる締めくくりだった。

最近読んだ漫画:2023夏

追燈

体験者の死後も続く無念を、語り部が受け継ぐ意味を静かに、表現の技巧を凝らして肉付けされた短編作品。漫画の題材として関東大震災での朝鮮人虐殺がもちいられたのは初めてではという作者の指摘にはハッとさせられた。


ドロヘドロ

一日話数限定の無料公開中の出版社アプリで機会を得た。アニメで知った作品だが、こちらの原作も幸福や満足感とは相対的なもので、どんなに荒んだ世界に生まれてもその生が無意味とは限らない。それがヒトの幅の広さであり世界という場所の豊かさであるとユーモラスかつ切実に伝えてくる独自の視点が、すばらしく心を自由にしてくれる。2000年開始の作品というわりには、男女で戦闘力がアンバランスでないコンビ、女性をむやみに客体化することのない性表現など現在でいうポリティカルコレクトネスに合致する世界観がつくられているが、インタビュー記事を読んでみても作者は意図して行った方向ではないようだ。


スーパードクターK

K2がSNSで話題となった余波なのか、その本伝というか前作である本作も電子版が100話無料公開された。週刊少年マガジンで読んでいた時は正直いって時代錯誤感が否めなかったのだけど、こちらが年取ったせいなのか素直に面白い。なかでも印象が強烈で覚えていたのはヘリ事故で死亡パイロットから同乗者へ皮膚移植する回や、同じく事故で焼死したF1パイロットの角膜がチームメンバーに移植されるエピソード。K2よりもインパクト重視だったり、医療行為と直接関係のないバイオレンス描写が多めなのは時代の違いとともに、あるいは担当編集者の意向がより強かったのかもなと思う。そんな中でも女性キャラの主体性が疎かになっている箇所はほとんどなく、この点は真船先生の意識の高さが最初からあったのでは。


君と宇宙を歩くために
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君と宇宙を歩くために - 泥ノ田犬彦 / 第1話 ワン・ジャイアント・リープ | &Sofa
発達障害を持つ当事者の心情が、ともに現実を生きる存在として主体的に描かれるようになったのは近年の数少ない良い社会的現象だなと思う。«どんなにつらくても泣くのは家の中で、外はだめ»という内容のメモに胸が締め付けられる。


ひとりでしにたい

現状、全話を読み通しているわけではない作品だが、最近展開されたタイマン弟の妻編は非常にアクチュアルな情況をエンタテインメント化していて読み応えがあった。主人公は何不自由ない中流家庭で育った大卒学芸員の独身女性だが、成り行きで恋人を実家に紹介せざるを得なくなり、その過程で無意識に高卒専業主婦で子育て中の義理の妹を目下に見ていることを認識せざるを得なくなる。本作で慧眼なのは、モラハラ気味の夫とくらしつつそれでも満足度の高い若い妻というキャラクターの描写。その自意識の強靭ぶりは、現実に独身女として日々他者と出会って実感するものばかりだった。


線場のひと
to-ti.in
戦後すぐの日本。戦禍の街でかつて恋情を確かめ合った二人の女学生を軸にセクシャルマイノリティの米兵、アイデンティティを固めるために収容所から志願した日系アメリカ人という男性陣が絡み、行く先のみえないドラマを展開していく。情念の形は当事者の意識にしっかり沿っており展開はしばしば現実を反映して過酷なのだが、描線のたおやかさと淡々とした演出の静かさが独特の雰囲気を醸し出す。現在はヒロインの一人が消息知れずの同級生を待ちきれずに戦争花嫁の一人になってシアトルに到着したところ。

2023年6月に観た映画

聖地には蜘蛛が巣を張る ('22 デンマーク・ドイツ・スウェーデン・フランス/監督: アリ・アッバシ)
監督の前作「ボーダー 二つの世界」は強い質感を放ちながらも複数の社会要素のストーリー上での咀嚼が荒い気がしていたが、本作ではそのウィークポイントが解消されて最後まで緊張の糸がたゆまない。前半は連続殺人スリラー、後半は法廷サスペンスという趣向の二本立ても効いていた。物語の決着は、運命を決める意思決定の在り処や企図があやふやなまま描かれるが、それもむしろ現実味をさらに増して感じさせる。犯人は、自分自身が権威主義の代行者になり他者の存在を毀損していたとともに、さらに上位の権威者によって処刑の不安さえ彼らの権益のダシにされた格好であり、その皮肉さは絞首刑の実行のリアルな再現とともに私たちが生きている現代のこの瞬間が不条理で動いていると鮮明に描き出す。この映画でもっとも生き生きとしていた人物は、威勢のいい口数の多い娼婦だが、彼女が犯人に殺される一連のシーンは異様なまでに写実的に撮られる。女が個性を持つことそのものが罪悪であると顔をしかめる社会が地上にいくつもある現実を伝えるかのように。なお、犯行が明確になった後でさえも犯人の娼婦連続殺人は裁かれるべき悪行ではないという人治主義の訴えの社会的盛り上がりを見せる様子には、あるいは数十年後には自分の国もこういう権威主義国になっているかもしれないと思うと本当にゾッとした。いちおう表面的には理性的なインテリたちが法を動かしているという描写も並行しているのがまたリアルで怖いのだ。


フリークスアウト ('21 イタリア・ベルギー/監督:ガブリエーレ・マイネッティ)
冒頭、マジックリアリズムを採り入れた夢のように美しい画面に突如ナチスドイツの蛮行が闖入する。邪魔すんじゃねえ!ナチ公!!偉そうなあいつらぶっ殺し!多毛症のサーカス団員をしつこくからかい嘲笑った罪で首コキッされてトラックから投げられて、後続のバイク巻き込んだシーンがなぜか笑えてしょうがない。通常とはモラル意識が変わってしまう昨今めずらしい破天荒アクション映画だ。かと思えばユダヤ人として逮捕されて列車に押し込まれる苦境の中でも見知らぬ子供をはげます老人というストレートに情の通った描写も入り込む。それらがマーブルケーキのように混じり合って、そしてクライマックスのナチス追撃隊VSフリークス四人andパルチザンのなにがなんだかわからない乱戦で夜空は花火大会のように彩られる。電気ビリビリ娘と虫あやつりアルビノざんねん美形青年との淡い恋は、そこだけポップメルヘンなんだが浮いてはいない。この二人を主役にしたことによりストーリーは殺伐とした殺し合い展開が多いのに、全体としては色使いや質感がおとぎ話の絵本のようにシックで美しい仕立てになっているというセンスが最高に評価できる。

2023年4月に読んだ本

不死鳥と鏡

色仕掛けにはまって、探偵の役回りを押し付けられる凄腕魔術師という発想がまず天才。ハイファンタジーとミステリーの両方が楽しめる。推理パートのバディ役がまたろくでもない研究室こもり系オタクキャラ(ガチ熟女好き)で… しかし終盤はわりと純愛に収まるので、精緻な長編で面白かった~という満足度の高い読書となる。形式ばってないのに端正な文体もかえって特徴に感じられてよかった。主人公がうぶなわけでもないのに、心や魂、美の真実にこだわる姿勢が作品の屋台骨になっているのがほんと好きだし。 


メアリ・ヴェントーラと第九王国

表題作が寓意のダークファンタジーという印象ですばらしい。かっこいい老婆、フィジカルな活躍はないしやってる事は目覚ましくもないけど主人公の若い娘に掛ける言葉だけでかっこいいぜ。ぴったりのスーツがやがて末っ子に廻ってくる童話のような『これでいいのだスーツ』、よく知らない親戚の葬式でのしらじらした記憶がよみがえる『ミスター・プレスコットが死んだ日』も忘れられない。それにしても『メアリ・ヴェントーラと第九王国』で主人公がこわごわと進んでいく、突き当りにドアのある洞窟のような暗い暗い階段の情景…あの怖れをなぜか私も知っているような気がするんだよな。

2023年4月に観た映画

ダンジョンズ&ドラゴンズアウトローたちの誇り ('23 アメリカ/監督:ジョナサン・ゴールドスタイン、ジョン・フランシス・デイリー)
ディズニーランドやUSJのアトラクションを3つほど入った後のような満足感が得られる。こんなまったき充実感を得られる映画は久しぶり。しかもその時の楽しさだけじゃない。反芻にたるお土産までもらえる。だって吟遊詩人なんていう直接戦闘しない職種の中年男性が、剣ではなく心で仲間や娘と力を合わせて、世界転覆を狙う悪意の存在と戦うんだぜ。とにかくストーリーもギミックアイデアも演出テンポもキャスティングも完璧。


崖上のスパイ ('21 中国/監督:チャン・イーモウ)
開戦前夜の導火線くすぶるような中国。雪の野で任務成功を言葉すくなに誓いあう男女四人の抵抗組織工作員たちのシーンが美しい。日本の憲兵が乗車してきた長距離列車の優雅な雰囲気の中での立ち回り、映画館を待ち合わせ場所に利用する冬の上海の瀟洒な通り、ヨーロッパのモノクロ映画のような潜伏先アパートの静逸さ。凄惨な流血のシーンとそれらの情景とが違和感なく溶けあう、映画黄金時代への回帰を意図したような画面づくりがとにかく印象に残る。…それだけに検閲逃れとしてやむを得なく演出を曲げたとしか思えないラストシーンのお涙頂戴ぶりのチープさが、浮いてみえた。

2023年3月に読んだ本

フィールダー

書題は社会問題の当事者を指している。主人公がゲームフリークという設定から、実際にバトルフィールドで応戦するプレイヤーというイメージから採られている。序盤は出版社に勤める三十代男性である主人公の、コンプライアンスによって整地された安定の社会生活から始まる。取引相手である作家が児童性虐待者の疑いを掛けられたという案件を発着点として、その中でプライベートにおいてゲーム仲間である少年の可憐さにどうしようもなく惹かれていく戸惑いを経由する主人公の道程は、やがて破滅を予感される方向へ流れ行く。では彼がやがて感じるのは後悔なのであろうか。そうとは限らない。あらかじめフィールダーとして生きることを奪われている現代人において、満たされた実感とは何なのか。そして倫理のラインを厳格に引くことでほんとうに救われる存在は増えるのか? こんなにアクチュアルで切実な問いを投げかけて現実の複雑さを損なわないまま終着する小説をひさしぶりに読んだ。この作品がほとんど評価されていない今の文学界はどうなってるの?

2023年3月に観た映画

ベネデッタ ('21 ベルギー 監督:ポール・バーホーベン
異端審問というより現代法廷劇に近いテンポの二転三転する展開にハラハラさせられ、そしてすべてを押し流すような怒涛の混乱バイオレンス=カタルシス。聖女伝説のように始まった物語は、西部劇のハードボイルドでフレームから解放された。奇跡があろうとなかろうと、わたしたちはじゆう。

工作 黒金星と呼ばれた男 (’18 韓国/監督: ユン・ジョンビン)
もっと殺伐としたドライな雰囲気で通すのかと思ってたけど、ラストはほんのりと熱いというか厚い人情で締めくくられる。現実に即していえばもっとシビアな展開なんではと感じなくもなかったが、地に足の着いたキャスティングの良さで何となく納得させられる。真の愛国心とは何かという事について考えさせられる映画だったな。あと、主人公が北朝鮮の協力者に連れていかれる農村の惨状のリアルさに制作者の良心を見た。