友達やめた。
春江水暖
少年の君
茜色に焼かれる
海辺の彼女たち
きまじめ楽隊のぼんやり戦争
空に聞く
夏時間
クー!キン・ザ・ザ
逃げた女
東京クルド
プロミシング・ヤング・ウーマン
返校 言葉が消えた日
フリー・ガイ
モンタナの目撃者
エターナルズ
ミークス・カットオフ
梅切らぬバカ
友達やめた。
春江水暖
少年の君
茜色に焼かれる
海辺の彼女たち
きまじめ楽隊のぼんやり戦争
空に聞く
夏時間
クー!キン・ザ・ザ
逃げた女
東京クルド
プロミシング・ヤング・ウーマン
返校 言葉が消えた日
フリー・ガイ
モンタナの目撃者
エターナルズ
ミークス・カットオフ
梅切らぬバカ
ギケイキ(Ⅰ,Ⅱ)
一冊目は頼朝とともに平家打倒、源氏復興に立つまで、二冊目は兄の頼朝に政敵とされて都落ちする中で愛妾の静と別れるまで。現代日本に意識を置いたままらしき九郎判官義経が、くだけた口調で自らの生涯をふりかえる。下世話な部分に眼光鋭く光る人間観察が明滅し、淡々と綴られる戦記部分に人と人の間に白刃閃いた中世の凄みが潜む。ユーモア小説かと軽く手に取ったが、綿密な取材にのっとった大作読み物だった。完結編も楽しみ。
一家が暮らす様は「ラ・ボエーム」の世界そのままだったという証言もある文化的にも階層的にも恵まれた家庭で生まれ育ったヤンソン。しかし詳細にその生涯を眺めると、従軍経験がある父との政治的衝突や、伝統絵画の道とイラストレーションや作家への適性とに迷った青年期、ムーミン人気がワールドワイドに達してからは多忙に心悩まされる日々、一般的規範に沿わない気性と性傾向ゆえに固まらない社会での立ち位置と、芸術や愛に真摯なゆえに一筋縄にはいかなかったその内実が明らかになる。そんな中で長年のパートナーとなったトゥーティッキや、彼女と同じほど強い絆をむすんでいたかにみえる実母との愛情のこまやかなやり取りに、何よりヤンソンの素の人柄を感じた。それにしても、自らが計画して建てた小屋のある島で、岩辺に嬉々としながら発破をしかける彼女の姿は、まさにムーミンシリーズの登場人物のようで想像するだけで楽しくなる。
ラストナイト・イン・ソーホー ('21 イギリス/監督:エドガー・ライト)
ネオンの夜に閃く未知への期待とやがての悪夢。若さに待ち受けるのは常に罠なのか。時代を超えてつながるものは果たしてそこに在るのか? B級ホラーのチープさとストイックに絞られた時代批評とがツイストダンスを踊る。何か土台たる脚本がガタガタなような気もしないでもなくそんなことはないでもないが、意表を突くどんでん返しまであったんだからまあいいや。60年代のヒットナンバーは最高に響くし、かつての少女として結構力づけられるところもあった。ところでこの監督は過去作『ベイビー・ドライバー』といい、“侮られる者の哀しみ”を描くのがとても上手い。
草の響き ('21 監督:斎藤久志)
つまづいてとっさに受け身を取った顔のすぐそばに野草がそよいでいるという情景を子供の頃に何度か見た気がする。遠くを過ぎ去る自動車のタイヤの軋みと近くを駆け回る児童の嬌声、そして目の前の草のそよぎ擦れあう音。すべてが等価ではないかと疑問が起こった。そして無意識にすぐ打ち消した。世の中には気付かない方がいいものがあると何となく分かっていたのだ。最後の主人公の表情が忘れられない。そこにあったのは確かに人間が生来に持つ危うさなのだが、世界に対して無限に繋がることのできる豊かさもまた同じ場所から始まっているのだ。妻も夫も本当にお互いを愛していた。
いつもながら個人的な興味マッチング6割、完成度への賞賛4割ぐらいで決めてます。
クローブヒッチ・キラー(’18 アメリカ/監督:ダンカン・スキルズ)
犯人の歪さとアメリカ家庭を抽象化した居室空間の静寂さとのギャップが冴える。
最後の決闘裁判 ('21 イギリス・アメリカ/監督:リドリー・スコット)
一秒たりとも目が離せない、名匠のこれでもかというマチスモへの墓標。
草の響き('21/監督:斎藤久志)
死は生のすぐ横にある。だけど人間と社会の複雑さはその直視を許さない。
ドライブ・マイ・カー('21/監督:濱口竜介)
二時間の長さに収める構成ならベストワンだった。お前が殺した、おまえがころした…
Summer of 85 ('20 フランス/監督:フランソワ・オゾン)
恋愛映画はほんとフランスにかなわねえな。チープだけどマジいいねって80年代解釈。
MSは正義の味方?ヒーロー?んなわけあるかあガオーという新機軸。なお美女も野獣。
すばらしき世界 ('21/監督:西川美和)
人間関係で無辜でいられる状況なぞ殆どない。それでも娑婆の空は広い。生きてる。
私は確信する ('18 フランス、ベルギー/監督:アントワーヌ・ランボー)
毒親と呼ばれようが少数派の社会正義を貫徹!真実より前に在る手続きの正当性。
クワイエット・プレイス 破られた沈黙 ('21 アメリカ/監督:ジョン・クラシンスキー)
クライマックスのしっかりと立つシーン、新たな勇気ある者像を確立しただけで評価。
TOVE ('20 フィンランド・スウェーデン/監督:ザイダ・バリルート)
真の自由には人生での逡巡が必要。女性同性愛ものでこれまでで一番共感したかも。
(今年はかなり迷った末の選外リスト)
ラストナイト・イン・ソーホー ('21 イギリス/監督:エドガー・ライト)
レミニセンス ('21 アメリカ/監督:リサ・ジョイ)
DUNE/デューン 砂の惑星 ('21 アメリカ/監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ)
水を抱く女 ('20 ドイツ、フランス/監督:クリスティアン・ペッツォルト)
ビーチ・バム まじめに不真面目 ('19 アメリカ/監督:ハーモニー・コリン)
アナザーラウンド('20 デンマーク・スウェーデン・オランダ/監督:トマス・ヴィンダーベア)
DAU.ナターシャ ('20 ドイツ、ウクライナ、イギリス、ロシア/監督:イリヤ・フルジャノフスキー、エカテリーナ・エルテリ)
シン・エヴァンゲリオン劇場版:ll ('21/監督:庵野秀明、摩砂雪、鶴巻和哉、前田真宏、中山勝一)
あのこは貴族 ('21/監督:岨手由貴子)
新 感染半島 ファイナル・ステージ ('20 韓国/監督:ヨン・サンホ)
ベスト演者は「ドライブ・マイ・カー」の岡田将生で。
蒼穹のファフナー THE BEYOND最終章 ('21 監督:能戸 隆)
今回は特に三話のなかでの内容振り分けが明確で、第10話で最終決戦の前の感情のやりとり、第11話で思い切りの戦闘描写(大スクリーンに見合った圧巻さで実際の尺以上に感じた)、第12話でエピローグという構成になっており、それが大変ファンにとってうれしい丁寧さが感じられるものだった。新国連軍の影が薄いのと、敵対関係の意味がつかみにくいといった欠点もあるのだが、それ以上に十数年も全力でシリーズに取り組んでくれたスタッフに感謝と尊敬を感じるフィナーレだった。
ほんとうのピノッキオ ('19 イタリア/監督:マッテオ・ガローネ)
グロテスクでダークなファンタジーへのセンスと、子供たちと目線を同じくした世界への前向きな希望(もちろん現実的な注意点も添えて)とのバランスがよく、自分の好みに合っていた。猫耳放浪マンや魚人間、かたつむりおばさん等の造詣がじつに楽しい。
TOVE ('20 フィンランド・スウェーデン/監督:ザイダ・バリルート)
トーベ・ヤンソンの何物にも囚われない精神はいかにつかみ取られたかを描いた映画だが、実際の生涯に厳密に沿っているわけではない。本作の中心ストーリーとなっているヴィヴィカへの激しい恋情とそこから生まれる葛藤とは、あくまで監督によってクローズアップがされた上での描き方だ。しかしそれでも再会したパリの夜でのトーベの告白のシーンは大変美しいと自分は思った。これまでは男女で描かれてきた構図が、技巧的に押し拡げられた意味を感じ取ったからかもしれない。ラストの、トゥーティッキが撮ったと思われる自由なステップで踊るトーベのフィルムが忘れられない。人はかくあるべき。
ミス・マルクス('20 イタリア・ベルギー/監督:スザンナ・ニッキャレッリ)
カール・マルクスの末娘エリノアの、父の遺した理念に生きようとしながら旧態依然とした内縁の夫との関係との矛盾に苦悩する姿を、パンクロックの挿入歌や室内で一人狂ったようにモダンダンスを踊るという異化効果を狙った演出で描きだす。エリノアが父の実像を知った時の苦悩をもっと共感できるようにするには、彼女が思想にどれだけ入れ込んでいたかの描写を増やすべきと感じた。結末の自死直前の静かな雰囲気は印象が強い。
アナザーラウンド('20 デンマーク・スウェーデン・オランダ/監督:トマス・ヴィンダーベア)
教師仲間の中年男4人が、勤務中にあえて血中アルコール濃度を上げて逆に人生がうまく行くかどうかを悪ふざけで実験しようとする。16歳から飲酒が許されているデンマークでは、夫の飲酒癖にウンザリしている妻でも昼間のカフェで白ワインをオーダーするし、欧米でもアルコールに対する姿勢は様々だと劇中の雰囲気から知れた。酒は人生の潤滑油…というよく云われる真理の、暗い面と明るい面を表裏一体で表現したラストに、人間社会のままならなさが淡々と表れていた。風采も意気も上がらない序盤のマッツ・ミケルセン、うってかわって軽快な即興ダンスを披露するシーンと、眼福な映画でもあった。
TOKYO REDUX 下山迷宮
日本の戦後を象徴する事件を題材にした三部作の最終巻。本書第一章は事件の捜査に直接係わったCID所属アメリカ人の高熱に浮かされるような視点、第二章は警官くずれの私立探偵が下山事件を小説化したのち消えた作家を追う中で巻き込まれる陰謀の影、第三章は事件のすべてを俯瞰する立場にいながらも、目を背け続けることでやがて自らの生そのものから追い詰められる老教授の最期の日々。叙述と文体のスタイルが章ごとに変わり、そのパスティーシュ元もまた戦後の日米の時系列を辿っているのではないかと思う。第一章はアメリカ暗黒小説の短く区切られた文節で離人症のような不安を募らせ、第二章は日本の異常心理探偵小説の娯楽性でスピード感を高め、第三章では川端康成のように抑制された抒情文体で寒々とした冬の街とひとりの男の心情を重ねていく。作者は実際にアメリカ本国で公開された文書(しかし下山事件に関しては特例で閉ざされている頁が多いという)を調べた上で、しかし淡々と飽くまで創作小説へと昇華するために技巧を用いる。それは大きな暗い洞の周りをたどるような道。さながら皇居に沿ってグルグルと無言で走る現代のジョギング愛好者たちのような。
人類最初の殺人
ラジオ番組の体裁を取ることで、一定の決まり文句によって安心感のある導入がまず上手い。本文から語り終わりに至るまでそのスタイルで統一されているので、かえって研ぎ澄まされるミステリーへの興味と先の展開への待ち遠しさ。小説というのはまずもってヒマつぶしのための読む娯楽なんだ!という伸び伸びとした気持ちで全5編を読み終えられた。ストーリーの中で語られる歴史が、どこまでが事実かどこが創作なのかが一見して分からない巧妙さも、こちらからすすんで木で鼻を括られるような楽しさがある。また、構成が後に行くほどに人物たちの決意の堅さや心情のたかまりのゲージが上がっていくのも、演出として心にくいばかりだった。
ジェンダーと脳
研究データを引き合いに脳に生物学上の性別特徴といえるものは実際のところ無いと説明しつつ、それとは逆にいかに現実の場面で不正確な脳科学談話を元にジェンダーが強化され再生産しているかを解き明かす。全体として読みやすくはあったが、章を細かく区切ることでかえって内容の重複が気になるところはあった。ストレスによってニューロンの樹状突起が増大されるという脳の生後の可塑性の高さについてのくだりが印象に残る。産まれ落ちた後は形状が固定される生殖器と違って、脳は生きていく中で器質を変化させていく。そこから導き出される科学的見地は、脳に個人ごとの偏りはあるが、性別差というものはデータとして認められないということだ。
Summer of 85 ('20 フランス/監督:フランソワ・オゾン)
未成年審判の行方と危ういひと夏の同性愛の結末とを追わせる並行エピソード構成で、思いのほか娯楽性が高かった。突然の事故死によりひとり遺された形の少年が亡き恋人との激しく儚い日々を小説仕立てにするという語りのフレームを作ることで、恍惚としたカメラワークへの感情移入のエクスキューズをつくる。なぜって、思い出はみな美しいのだから。映像自体が放つ企図された調和の力と、ストーリーへの興味を呼ぶ間口の広さとを同時に達成しているそのレベルが本当に高いと思う。ところで80年代風俗の映像での再現はこれまでチープな軽薄さが鼻につきがちだったけど、この作品では色彩や光線のコントロール加減なのか逆にシックで眼に違和感がない。それと関連して、ロッド・スチュワートのヒット曲「Sailing」は発表年からいうと劇中でもやや古びた歌であったのではないかと思うが、捉え方が複合的に為されているために響きが新鮮に感じられる。エッジが利きつつまことに懐の深い青春映画。
DUNE/デューン 砂の惑星 ('21 アメリカ/監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ)
大画面に見渡す限りの砂漠が大写しになり、虫の羽ばたきを模した飛行機からほとんど宙づり状態になった主人公たちの眼下には、禍々しくも神々しいブラックホールのような口を開けた巨大な砂蟲が蠢く。これだ、久しく無かった映画体験がここに蘇った!初日にわざわざ来た目的がこれなんだよ~と座席でひとりご満悦。室内の色彩と照明を絞った撮影の荘厳さ、隠された神秘の力を持つ教団へのフェミニズムの暗示も好みに合って楽しめたが、肉弾アクション演出がおしなべて平凡に感じたのが惜しかった。繊細な死に際を見せた父公爵、精神の強さとしたたかなタフネスを見せて息子とともに生き抜いた母導師。キャラクター配置は王道なようでいて、現代性に通用する斬新さが感じられた。
最後の決闘裁判 ('21 イギリス・アメリカ/監督:リドリー・スコット)
第一章は古風な騎士像に近い素朴だがガサツさも否めない夫の視点。第二章は宮廷の人心掌握術にも長けた洗練の友人騎士の視点。第三章は夫の不在時にその友人からレイプ被害に遭った妻の視点。つまり段階を追って近代化された観点にシフトしていき、中世騎士道という男尊女卑の象徴としてモチーフに選ばれた時代の様相を再構築していく事により、現代にも残るジェンダーの不均衡へと意識を誘う構成になっている。そして過剰なまでに臨場感を込めた、決闘裁判の一騎打ちの目を覆いたくなる野蛮さ。だが数秒ごとに形勢逆転する先の読めなさに、同時にまったく目が離せない。嫌らしいまでにあらゆる技巧を叩き込んだこのリドリー・スコットの気迫は、はたして本当に現代のクリエイターに求められるジェンダー意識の高まりに素直に帰したものと捉えてもよいのか?あまりにもすべてが複雑にかつ濃密に構成されて調和している。恐るべき映画で、三時間弱の上映時間をまったく長いとは感じなかった。…それにしても第二章と第三章、寝室のある塔での主観の移動による演技の違いをいちいち演出してくる執念深さ(褒め言葉)には本当に感じ入った。