ニーチェの馬('11/ハンガリー・仏・スイス・独/監督:タル・ベーラ)

これ、どこがニーチェと関係あるの?と思うこと一時間ほど。ようやく第三の人物として、近所のアル中老爺が、主役父娘に向かって哲学に神学が混じったような御託をのべはじめたので「なんとなくニーチェっぽいぞ!」とまるで救世主登場のような気持ちでワクワクしたものの、彼はその後二度と出なかった。二回めの来訪者はアメリカへ出国する途中らしき浮浪者めいた集団。井戸の水を勝手に使った(これは後の展開への伏線)お礼にと一冊の書物を娘に渡していくが、それがどうも聖書っぽい。神のなす世のありさまに愚痴る賢者、浮かれて毒舌を撒き散らしたうえに災悪とともに聖書を置いていく愚者。もはや神も仏もありゃしない。…このあたりがニーチェをテーマに据えた主幹にあたるのかな? じゃあ馬の方はというと、主役父娘がたしかに大きな馬を飼って使役しているものの、あまりエピソードの中心には出てこない。むしろ、馬と同じほど質素に暮らしている(じゃがいもが主食。というかほとんどそれしか食べてない)父と娘。彼らが、ニーチェが街頭で首に縋って同情に泣きくれたという絶対的な弱きものだったということだろうか。単純なようで、幾重にも畳まれた襞が隠されていそうな気がする、そんな作品だった。ただ、一つ一つのショットを数秒ずつ縮めることで、せめて二時間に収まるぐらいの尺にしてほしかったなあとはいちげんの観客として感じましたです。それにしても、石造りの家にすむ環境って、水の大切さが木の家に住む土地柄とはかなり違うようだ。すべてを乾燥しつくすような風がしじゅう吹き荒れ、それさえも止む時… おや、なんだか案外に後を曳きそうな気がしてきたぞ。