ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち('16 アメリカ/監督:ティム・バートン)

冒頭のB級郊外ホラーっぽさに虚をつかれた。そのスーパーマーケットでの同級生たちの薄情なふるまいが実にリアルで、ラストシーンの浮世離れぶりをいよいよ強調する。主人公の行動がはたして逃避なのか、克服なのかよく分からなくなるあたり、なるほどティム・バートンだと納得するのだった。現代ロンドンでのガイコツ隊との戦闘は見ごたえがあった。色々と既作へのオマージュが思い当たる作品だが、ここでのハリーハウゼン人形アニメ調は特に効果が上がっていたと思う。

ダゲレオタイプの女('16 フランス・ベルギー・日本/監督:黒沢清)

おそらく主人公は移民二世ぐらいの設定なのだが、そういった社会背景をあまり描かかなかったことが吉とでたか凶とでたかは非常に微妙。ただ、比較的に善良な人間がグラデーションを描いて倫理にもとり、その結果として犯罪の当事者になってしまう。そこに不自然さはなかったので、やはり正解だったのかもしれない。監督の国内作とくらべてスーパーナチュラル・ホラーとしての怖さがあまり出ていないのは、ヨーロッパ人の風貌のためか、地理が生む湿度の違いのせいか。とにかく、恋愛とは絶対的に一方通行の錯覚ではないかという疑念がこだまするラストシーンが怖ろしくて切なかった。

エヴォリューション('15 フランス/監督:ルシール・アザリロビック)

自分は併映「ネクター」の方が現実との接地面が広くて好きかなあ。あのまさに蜂の巣みたいな団地壁面のカットとかいいよね。というかこの監督の演出がいまひとつ合ってないのか、やや眠たかった。そう、まさに海水浴終盤の夕暮れの浜辺のように夢うつつの境地へだるさとともに入り、すっかり暮れた沖の方から臨海工場群の明かりを眺めるぽっかりと覚めた心持ちに、映画とともに推移した。感覚を体験した、といった感じ。

沈黙 サイレンス('16 アメリカ/監督:マーティン・スコセッシ)

禁制時代のキリスト教伝道師たちの内面にはおそらくは布教の熱意以外にもそりゃもう色々なレイヤーが多層していたと思うが、ここではそれらはまったく描かれない。そして取り締まる侍たちの表情や物言いはえらく現代日本のお役人やサラリーマンの移し身のように描かれる。つまりここでは、キリストの教えも弾圧の中身も、等しく『寓話』の手段として見るべきではないか、と不遜かもしれないが非キリスト教徒の自分は思った。眼前に在る人々の苦悶と教義とを天秤にかけ、その結果うまれた偲びがたい矛盾とともに、なお信仰を持ち続けること。この映画の真髄は静かで表面上は美しささえ漂わす心の地獄を描いた後半十数分にあるなと感じた。…しかしなぜスコセッシはこんな瑕疵のない日本人論をつくれたの?

乞食稼業

乞食稼業―唐十郎対談集 (1979年)

乞食稼業―唐十郎対談集 (1979年)

1979年に出版された劇作家・唐十郎の対談集。挑発に終始した対談あり、忍術合戦のように衒学で煙に巻く対談あり、自らのメディアにおける虚言をさらりと告白する対談あり、(当時の共通認識と今からなら言える)女性差別のライン上をつなわたりする対談ありと、昭和は遠くなりにけりと感慨に軽くふけったりした。