嗤う分身('13 イギリス/監督:リチャード・アイオアディ)

 近未来、常に夜のような街で働く青年サイモン。計算機の前で機械の一部のように働いて穴倉めいた家でテレビドラマを視るのだけが気晴らしの生活の中で、彼の唯一の光明は同僚女性のミナだった。そんな中、なぜか自分と同じ顔と名前を持つジェームズが入社してきたことで、サイモンは公私ともに居場所を少しずつ奪われていく。
 原作、というか原案はドストエフスキーだが、設定の骨格やテーマの核の部分だけ用いられており、結末もまったくのオリジナルのようだ。暗く薄汚れた世界観で統一されているが、不思議とそこにほの暖かさやユーモラスさが散見されるのは、主人公サイモンの人柄が反映されていると解釈するのも可能で、カフェやバーのBGMとして採用されている坂本九の『上を向いて歩こう』やザ・タイガーズの『ブルー・シャトー』という脈絡のなさが漂う選曲センスも、取り留めがないまでもどこか気楽さを残す人の世のアバウトさを演出している。ラストシーンは楽天的ともいえるシナリオだが、なんとなく納得させられる説得力を持つのは、キャスティングのキュートさの勝利か。全体的なセンスの独特さがとにかく印象に残る。