桐島、部活やめるってよ('12/監督:吉田大八)

運動部>運動部員と同じグループの帰宅部団体戦で実績のある文化部>趣味度の高い文化部>不可視の存在 というヒエラルキーが社会批評的視点で暴かれるというわけではなく、穏やかなユーモアでもってむしろ伸び伸びおっとりと描かれる基調は、古びながらも大事に扱われているらしい校舎を佳い背景として適度にノスタルジックを誘う。高校生たちのやり取りも、電車の中で漏れ聞くような時代性も取り入れつつも、雑味の強いメンタリズムは耳障りにならない程度に取り除かれており、娯楽映画としての枠から大きく外れてはいない造りがかえって上品だった。完全無欠で恋愛ヒエラルキーの頂点ですらある「桐島」の影で望んでか望むまいか右往左往する生徒たちのなかで、映画部員たちはたまさかに逆襲の咆哮をあげる瞬間のカタルシス。しかしそれは果たして実際にあったことなのか、部長生徒の頭の中でだけ"実行"されたことなのか。いずれにせよ、もっとも桐島に近い位置にいた元野球部員の涙のあとの帰宅シーンには、新たな空気が流れ込みつつあった。それでも、彼は携帯電話の呼び出し音を鳴らさずにはいられないのだが。いつのころか、誰しもがごく早いうちから、夢を内側に持ちつづけながらも、現実での立ち位置を必要以上に意識せざるを得なくなった。それでも。その"それでも"がこの映画のテーマだ。半歩でもはみ出てみないと何も見えてこない。