「LUPIN the Third〜峰 不二子という女〜」第11話『愚か者の祭』

これまでの回で不二子の映し鏡と思える女性キャラクターは数多く出てきた。ギャング情婦、オペラ歌手に『万華鏡女』、はたまたバザール質屋の老女もその中に数えていいかもしれない。これらのゲストキャラはすべてが、“峰不二子という女”を投影させたスペクトルの構成の一部である。今回のエピソードの主役であるオスカー警部補は、男性でありながらも“不二子スペクトル”の最も離れた位置に存在するキャラクターであり、それゆえに物語にとって重要ともいえる。
オスカーは、少年時代に出会い助けられた銭形警部を、第一印象にて『黒い宝石』と評する。彼にとってその言葉は銭形の実像を知るにつけ徐々に“どんな汚い手段を使っても職務をまっとうする男の中の男”という意味に固定していく。その固着観念には自分の中の同性愛傾向を打ち消すための方便も混じっていたのかもしれず、結局は殺人まで犯すという一線を越えた後に銭形からかけられた(遅すぎた)言葉により、ようやくオスカーは本来の自分の信念を取り戻す。『黒い宝石』は汚れた生き様の事ではなく、銭形のまっすぐな眼差しを宿す瞳の色だったと気付いた時、彼の中で性別のくびきは消えた。
この顛末だけでも見応えがあり、パリという虚飾きらびやかな舞台での演出もかなり美しかったわけだが、シナリオ上の仕掛けとして唸らされるのは、オスカーが得た救いに、不二子が辿り着くべき最終地点のヒントが込められている点。不二子は自らの“女”そのものを包括したような美貌を武器にしかおそらくは生きられない。それでいて、“女”の部分に捉われていては脚がもつれて人生を破綻してしまう。となれば、やはり彼女が生き残るには、容姿に恵まれた女性として生まれたがゆえに虐待を受けた過去と対峙してそれを乗り越えるしかない、と。