幻影の書

幻影の書

幻影の書

なるほど、これまでにないほどにストーリー展開と現実世界との関係が近い。そこに『オースターの最高傑作』と評された鍵があるのでは。…たとえばジョナサン・キャロルもその類の作家だと思うけど、読んでいる間は面白くてもしばらくするとあらすじをどうも思い出せなくなるタイプというのがある。印象が弱いというのとも違う…端的にいえば筋が飛びすぎるというか作品そのものが入れ子構造になっているといった方が近いというか。本作にしても主人公が研究対象とする人物の遍歴はかなり奇矯なものだけど、あるいはあるかもしれないレベルの波乱万丈さ(ちなみに初期作品「ムーン・パレス」にこの部分は似通ってる。…あの小説も好きなんだけど全体のあらすじをソラできちんと説明できないんだよなあ)にとどまっており、夢想性や寓話性は必要最小限に抑えられている。要は、一般性の高さとストーリーテリングのレベルが両立しているという事だろう。もうひとつ技巧的に優れているのは、劇中劇であるサイレント映画を描写する筆致。まさに、まざまざと脳裏に映像が浮かび上がってくるという表現がぴったり。それらの手法面を統括するテーマ性にしても中盤を超えるまで浮かび上がってこないというミステリ的な楽しみが潜んでいる。終盤はその意味での山場がいくつもあるけど、個人的にもっともぐっと来たのは、作中で一番まっとうで健全な女性がかつての想い人を回想して涙を浮かべるシーン。幻影というものは、あらゆる人間をとりこにするのだとその瞬間にひらめかされる。