目も開いてない子猫が、ただウニョウニョと生きている様を眺めているのは、穏やかな川の流れを見ているようなひととき。
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この二日間、ブログ更新も忘れて新しく生まれた子猫4匹に見とれていた。
四月一日に迷い込んだ美しく若い猫が、ちょうど半年後の十月一日に珠のように愛らしく丈夫なこどもを産んだ。我が家にとって数十年ぶりの"純生"であり、そして最後の仔たちになるはずだ。
「ディリリとパリの時間旅行」('18 フランス・ベルギー/監督:ミッシェル・オスロ)
ベル・エポックのパリにニューカレドニアから博覧会で働くためにやってきた混血の少女ディリリ。素直さと聡明ぶりからいろんな出会いに恵まれる彼女は、街を不安に陥れる誘拐事件の謎を青年オレルとともに追う。
写真の手触りを残す背景に、完全に角が取れていないキャラCGがかぶさることで、一世紀前と現代との問題点が重なる手法が見てとれる。社会格差を時にのぞかせつつも、パリの朝、昼、夜はきらびやかでにぎやか、何かが生まれ落ちる予感に満ちていることが鮮やかな色彩設計で盛り立てられる。早いテンポで進行するストーリーも観ていて飽きなかった。ディリリが結局は両親と会えないままという現実的な寂しさを残したラストも自分の趣味に合った。色んな美がアニメならではの見所によって表現されている。
「ウィリアムが来た時」
切れ味のいい短編が日本でも人気を保ち続けているサキが、ドイツに戦争に負けたあとの大英帝国というif設定で書いた長編。なお、訳者解説で知ったがサキは長編をこれから著していこうというところで戦場に出征し亡くなったそうだ。
敗戦後の再編成される世情で自らを有利な立場に押し上げようとする者、征服されつつある故国から逃れて穏やかな新天地を植民地に求める者、趣味の世界で気を紛らわせようとする者。それぞれの立場を並列的に描いた章を綴る淡々としたリズムが、やがて一本筋の通った意思を暗示する象徴式典の最終章へと繋がっていく。早書きの印象はあれど、サキ小説の本質がよく出ている作品でもあるように思った。
「フィリップ・K・ディックの世界」
ディックの友人であり逝去後の作品管理人でもあったポール・ウィリアムズが聞き手となってのインタビュー集。とりとめのない話しぶりが行間に残されたスタイルにより、ディックの60年代カルチャーを戸惑いと不安と期待の中で生きた個人としての姿が鮮やかに浮かび上がる。自分にとってまだまだ未読の作品があるなかで、本書を読めて良かったなと思う。ディック。それは悩める誠実な現代人の一例であり、知らず知らずに巻き込まれそして台風の目でもある自身すらコントロールをいつしか失うひとつの磁場。
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底なし沼のような無力感。例えていえば「グスコーブドリの伝記」の主人公の両親のような気持ちだ。
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薄曇りながら非常に穏やかな天気。風がほとんどないため自転車を漕いでいても空気抵抗をまったく感じず、いつもより会社に早めに着いた。そしてキンモクセイの香りがほのかに始まっているのを感じる。いつもながら花の姿は確認できないが。
仕事をさて始めようとして、機械の部品がないことに気付き、上司を呼び寄せてひと悶着。その数時間後に、席をほんの少し外している間に部品が戻っていることに気付き、キツネにつままれたような心持ちで、自分の正気をやや疑ったが、その感触が読書中のフィリップ・K・ディックのインタビュー集の一節にそっくりだったのだ。ある夜、住んでいた貸家に何者かが侵入し、部屋を荒らされているのを発見したディックは(よかった、自分は狂っていなかった!)と妙な安堵を覚えるのだが、それは事前に不審な人物の存在を感知していたためだった。そして自分の場合は、たしかに部品が消えていたことを上司に確認を取ることにより、認知の歪みによる思い込みではなかったことに安心した。さらにディックは同じ本の中で、世界には偶然の一致などなく、すべての相似には意味がある、すなわちシンクロニシティの重要さを説いている。何かそれなりに感じ入った次第だ。