剥奪されつづける個人 「チェンソーマン」

 アニメ版第6話のビジネスホテル(殺風景だがそこそこ築浅なのかすっきりしたインテリア)のダブルベッドで横になるデンジが、自らの言葉のままにミッションの先行きを心配せずただ寝心地の良さを味わっているのを改めて見て、このキャラクターがいかに過酷な成育歴を持っているかに感じ入った。そして共感した。私も主に経済的な理由から、半年先いや三カ月先すら未来図を描くことができない状況がながく続いている。そしてここに告白するが、それは一種の気楽さでもあるのだ。まさにくだんのシーンのデンジ同様に瞬間を楽しむ以外に発狂せずに自我を保てなくなる危機、それは人間の実存である。
 さらに思えば、現在ジャンプ+で配信中の第二部においては、デンジは"主人公"というポジションさえ作者から取り上げられてしまっている。現在の中心視点人物であるアサから見れば、デンジは何を考えているのか、平均的知能に達しているかさえ怪しい奇行の目立つ同学年の男子に過ぎない。
 これまでにもデンジはストーリーの流れで得たものをすべて奪われた。(犬形状)ポチタ、所属の自由、公安4課で知り合った人々、レゼ、アキ、食の愉しみ、パワー、マキマ。その容赦ない剥奪ぶり。作者はでは彼に何を与えたというのか。喪われたキャラクターたちは存在に意味があったといえるのか?少年漫画の意義とは? だんだん何を読んでいるか分からなくなってしまうほど、デンジは一度得たものを「チェンソーマン」の中で奪われ続けた
 そして本作が非凡といえるのは、デンジが作中でいまも奪われ続けているのは他者の存在だけではない点だ。彼には観念すらも周到な構造によって手に入らないようになっている。「チェンソーマン」という作品は世界から意味を感じ取ることさえも困難になってしまった時代の空気をテーマとしているのだ。周縁に追いやられた人間にとっては"概念のジャングル"と化す現代社会の様相そのものを描きだしている。
 第一部のストーリーの柱となっていたのは『銃の悪魔』からの脅威であった。それはデンジが公安4課に配属されて仲間を得るモチベーションとなる命題でもあった。暴力と恐怖で世界を支配する『銃の悪魔』を排除できるか否か。そこでならまだ、テーマは単純で済んだのだが本作ではそのスタート時点で既にツイストが掛かっていた。デンジと世界にとって真の脅威は、父性的な権威を放つ『銃の悪魔』ではなく包容力のある善意で人々の自由を奪おうとする母性的権力の『支配の悪魔』。すなわち社会に進む道を示し仲間を与えてくれたマキマその人だったのである。父性的権威と母性的抑圧の同時台頭。あまりにも鮮やかすぎる世界の現状への切り口。藤本タツキは巫者に近い資質を持つ漫画家かもしれない。
 そして現代において藤本タツキの才能が重要なのは、デンジのように世界を見通す視点さえまるで予め奪われている複雑怪奇な状況に置かれているのは<個人>のレベルに留まっていないという問題だ。観念の迷宮で精神的に成長することもなく、ただその時その時にシャッフルされて配られたカードで日常を送るしかない。これは多くの人が漠然と生きている現実の投影だと自分はようやく気付けたと思っている。藤本タツキは当初の感触以上に、最初から完成されていた天才だった。
 しかし旧世代のクリエイターとも異質なのは、藤本タツキの描く世界は決して重くも暗くない点だろう。マキマが真の狙いをあきらかにして以降の作中の雰囲気はそれこそ少年漫画にはありえないほどの閉塞感に満ちており、読んでいてこの訳のわからなさは本当に作者の意図の内なんだろうかと戸惑うぐらいだった。そんな時でも、その出口の見えなさは(それゆえに)どこへ向かうのか分からない軽やかな空気感をまとっていた。そしてここでデンジのまるで動物のような非連続性時間感覚に話は戻る。旧時代なら前提としてあったはずの秩序を薄皮をはがすように奪われつづけているこの令和年代において、瞬間瞬間で自分自身が感じてその中からほんとうに信じたものを原動力として立ち塞がる壁を振動する刃で砕いて進もうとするプリミティブな衝動を持つ異形のヒーローを描く事。その震えが示すのはいつの時代においても個人がはらむ可能性なのだと。藤本タツキ作品のカオスはもしかしたら出ることのできない迷宮かもしれない。けれど何も起こらないとは限らない。ハプニングとは希望でもあるのだ。それを信じる事はすくなくとも誰にでもできる。「チェンソーマン」は諦念と厭世の漫画ではない。今回の細心丁寧のアニメ化でうまれた媒体的パースペクティブで自分はその確信を得た。これだってちょっとした、魔術的ケミストリーなんである。


(追記)デンジから精神の成長はあらかじめ取り除かれていると上記したが、第二部においては“不特定多数にモテたい(第一部では幼児の接触欲や被保護欲に近いレベルだった)”という意味の発言や“さりげない形でかっこよく正体バレしたい”などのより社会性の上がった欲求を見せている。とすればデンジは一般よりだいぶ遅い速度ながら内面に変化を起こしていると演出されている解釈も十分可能である。あくまで遅々としたものだが。