鬼滅の刃」第12巻から15巻を再読。以前に読んだ時は時間に追われていたとはいえ、二回目でもまったく面白さの実感に変わりがないどころか、むしろコマ内の情報度をより深く味わえることに気付く。作者はやはりとんでもなく文化強度の高い環境で育っていると感じる。錦絵のけれん味、説話の無常観、民話の切迫さ。これらの混淆ぶりが、説明は難しいが現代的というか先鋭的に融合されて昇華されている。ほんとに今のジャンプはとんでもない才能を抱えていて、その作家たちはマガジン系の諌山創と肩を並べるレベルなのだ。

そしてもうひとりのジャンプの俊英にして異才の藤本タツキの本誌初連載作「チェンソーマン」。露悪的というにはあまりにも現実の空気を自然に採り入れた作風は前作「ファイアパンチ」以上になっていて、最新第4巻を読んだあとも戸惑うばかり。それは善悪倫理に対して個人としての思い入れが読み取れず、それでいてなぜか(…というかそれゆえにというか)不快感がないから。ファンタジー色が強かった当初から展開して、国家における暴力装置への視点が入っており飽きないが、それ以上に個性が強すぎるはずのキャラクターたちの感情の動きに親近感を持ってしまう。しかし本当に、まったく作者像がつかめない漫画だ。不思議。