「墓場鬼太郎」全11話終了。

著作権的にボーダーラインな方法で視ていたので、単独カテゴリこそ作らなかったものの今年のアニメ最終回一発目がこれだったのは幸先が良かったというもので、思わず今回も感想打っちゃうのだった。最終話『アホな男』の何がいいって、爆発的ギャグ(おなら攻撃で苦しむヤクザの死にそうな顔色! あと今話のみの演出手法として抜き出した台詞単語についての辞書構文を背景字幕で映すスタイリッシュな試みが)の連発でもって水木しげる式幸福論を明るく彩って、メジャー作品風にきちんとシリーズを締めくくったその点に感動すら覚えました。地獄も極楽も、すべては気の持ち様。世の中は生き辛くて当たり前、あがくのはしょうがないけど暗く考えこむ必要もないんでないかい、と鬼太郎やねずみ男の路地を飄々と歩み去る姿に、軽く肩を押される気持ちがした。ところでつい昨日から角川文庫版で原作読み始めてます。貸本漫画ってほとんど紙芝居と変わりない感じなんですね。コマ割はほぼ単調で、コマとコマの間の流れも同じく紙芝居的にぶつ切りで、これをシリーズアニメ化するのは、現代漫画のそれよりもずっと工夫が入ったことと思う。そしてカラー装画とかほんとにグロテスクで気持ち悪くて怖い。屍体から抜け出たばかりの目玉おやじが血まみれだとか序の口。あと後々の水木漫画でも特徴的な死紋の表現も強烈で、さらには描き方が独特なことからして、おそらく氏が徴兵体験の中で実際に目にした死体から着想を得ている気がする。当時、まだまだ尾を引いていた戦後の荒廃の中で水木漫画が根強い支持を得たその背後には、地獄のような景色を見た人間たちが、それでもその中にユーモアを見出してある面では極楽に視点変換しなければとても生きていけなかった、そんな切実さがある気がした。そしてそれこそが、いまだ「ゲゲゲの鬼太郎」という水木漫画の大看板が人気作である理由なのでは。まさしく(「マクベス」じゃないけど)“汚いはきれい”。地獄は極楽。怖いは頼もしい。そういえば、物語の始まりである会社員・水木が生まれたての鬼太郎を拾う理由は原作においてもなんとなくという気分の流れからであり、むしろアニメ版よりも適当な決断にみえた。これは世間全体が等しく貧しかった頃の「困ったときはお互い様」という感覚からきてる気がする。まあ現代においてはそんな同情心は“無駄なリスク”の一言で斬って捨てられそうなもんだけど、水木作品においてはその点は別に善くも悪くもない判断として置かれていると思う。個人的には、そういう一種の弱さが人間に不必要なものとされる時代は、息苦しいような気がする。えーとつまり何が言いたいかっていうと、本編と合ってないという反応もちょこちょこあったEDの「snow tears」は、そういったナイーヴな心性について歌っているように自分には聞こえてたし、個人的にはけっこう雰囲気として合っていたんじゃないかっつうことなのです。