社会はすでに消えて世間だけがこの国に残った

とモリスヒロシ先生はおっしゃった。境目はもちろん1995年です。
つかぬ話だが、数日前に地元新聞で読んだうちとこの県庁所在地でオウム教団支部排斥運動として署名開始という大きな三面記事で憂鬱な気分が続いている。もしも自分の近所の話で、さらに自分が世帯主だったら署名を断ることができるだろうか。信教や思想の自由は憲法に保障されているって中学で習ったぞ? もう反古にされた過去の建前なの? どこの国でもある傾向だけど、それにしたってあまりにも為政者やマスコミに簡単に躍らされすぎ。今更だけど。もう国語の教科書に「茶色の朝」を百萬回載せるべき。世間というのはおそらく利益を分配しあう共同体。対して社会というのはきっとリスクを分かち合う同意に基づいたシステム。後者の方が「活断層があると指摘したらヤクザがきたでござる」の巻(J0hn D0e の日誌)で述べられてるようなエピソードが出てくる確率は低いと思う。<註記:私は現在のオウムに一連のサリン事件当時のような組織行動力はすでにないと見ています。たとえもし再び事件を起こしそうな気配が感じられたとしてもそれは公安警察の持続的監視対象になるだけの話であって、社会自体から排除するべきでないと思う。だって彼らは一体どこに行けばいいというのだろう。カルト信教に入るほどに世間に絶望してしまった彼らは?>