天に星、地に花、人は怨 -NETFLIX『陰陽師』-

多分に伝説的な人物である安倍晴明を主人公とした夢枕獏による小説シリーズ「陰陽師」はこれまでにも沢山の映像化、漫画化が成されているが、このNETFLIXが全13話のアニメシリーズとして製作した『陰陽師』はそのなかで最も地味なルックの作品となるのではないかと思われる。しかしそれは企画の消極性を意味するのではなく、むしろメディアミックス同タイトルがいくつもある中での差別化に成功したのだと主張するのがこの記事の目的である。夢枕による小説は未読だが、おそらくは原作をも含めた安倍晴明ものの中で、等身大の人間としての晴明を描き出す点に最も狙いをフォーカスしたのがこのネトフリ版『陰陽師』だ。

たむらかずひこによる端正だが線が多くならないように調整されたバランスの取れたキャラクターデザイン。格段に華美ではないものの親近感を持ちやすく表情を豊かに付けやすいラインで描かれる本作の登場人物たちは、例外なく心の裏面である妬みや嫉み、あるいはそれを受けての心の傷を持っていると過去のエピソードやダイアローグによって示される。一見して雅やかで静謐にみえる平安時代の宮中が主な舞台となるがそこで横溢するのは表立って争いがないゆえの陰にこもった誹謗中傷であり、限られた官職をお互いに牽制しあいながら奪いあう貴族たちの閉ざされた心の冷たさ。それらのリアルな描かれ様で平安の世と新自由主義による格差が拡大しつつある現代の日本とをストレートに接続しようという基本演出が読み取れる。そしてこれまでのメディアミックスのなかでは、“狐の子”と蔑まれ恐れられる晴明はそれら人間関係の喜怒哀楽から一段たかい場所で俯瞰気味に構えている構図が多く採られていたが、本作ではシリーズが後半にすすむにつれ唯一に友人といえる源博雅(みなもとのひろまさ)が、超然としてみえる晴明の心に孤独がふかく根付いており彼もまた他の人間と変わらない精神構造を持っていると知っていく趣向が最大の特徴になっている。

安定した官職に付くために宮中歌合せに臨んだ貧乏貴族が絶望して自死したあとに亡霊と化すエピソードなどは、たとえば活劇アクションのスケールではかるとすれば少々矮小に感じられるが、オカルト異能力ストーリーというケレン味以上に心理ドラマを重視した本作では、心を揺らす自制心の喪失はすなわち内面のおおいなる危機であると表現される。それは十分に人を破滅させ殺す可能性を持ったもので王朝文学においては「鬼」と名付けられた心性と現象なのだが、そのともすればかび臭く古めいて感じられる観念を現代のエンターテインメントにおとしこんで描くための真摯さがストレートかつ自然に感じられる。

また、『堤中納言物語』内の「虫愛づる姫君」をアレンジしたエピソードにおいては自分の感性をつらぬき世間から孤立する不安にスポットが当てられるが(財を持つ貴族の娘であるエクスキューズ一点においてやや力任せに問題が解決されるものの)のちの晴明の心の変遷のための補助線として機能するなど、個々のゲストたちの個性を埋没させないように気を払いつつも関わった騒動からの影響がクライマックスにおける晴明の行動に現れるというシリーズ構成の巧みさが非常に堅実であり、オーソドックスなテーマである“孤独が生む孤立と絶望からの回避”安倍晴明ものでかたる新鮮さを成立させる。


時の天皇を『あの男』と無造作に呼び捨てる晴明の出自は劇中でそれとなくほのめかされるに留まるがおそらくは誰よりも血筋としては高貴であり、また「陰陽師」という平安京における天文学者と占い師とを掛け合わせたような役職における才能を最強に持つ晴明にとって、真実の敵はみずからの内側にあった驕りと諦念だと俗物きわまる大臣からの捨てセリフがもっとも鋭く指し示しているわけだが、同様に兄弟子の賀茂保憲の振る舞いの冷たさが必ずしも敵意だけでなく実の弟のようにともに育ってきた晴明への労りが垣間見えるように描かれるのが、設定の破綻ではなく人間が心にはらむ矛盾が負としてだけではなく時には正として働くという社会の一筋縄では行かなさを徐々に作品に彫り込んでいく。その醍醐味はやはりシリーズものならでは。

天の星で国の未来を読み、地の花をめでて人の心を知る。そしてそれらの回転のうちに怨みと慈しみのたえまない円環を見出す。陰と陽。生まれ持った特質ゆえに孤独だった晴明とかざりけない人柄のあたたかさで輪の中心となる博雅。物語とはタペストリーを宙に織り出してそこに情を刻印することなのだと教えてくれる佳作だった。抑えめながらも陰陽術の特徴を表現したエフェクトと、彩度と明度にこまやかに神経を払った美術もすばらしい。もっと多くの人に広く視てもらいたい作品。