アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

筋書きこそシリアスながら、原案に採用された映画「ブレードランナー」と比べるとペーソスが隠し味のユーモアが基調になっている。本物の動物が希少になってしまった汚染後の世界で、ペット入手に大枚と情熱を傾ける人々の姿は滑稽だが、その心理自体にはひたむきさが疑いもなく込められており、感情移入に意味を見出さないアンドロイドたちが観察しながら生きた蜘蛛の脚を一本ずつ切り落とすシーンとの比較に強いコントラストを感じた。と同時にそれらは再現なくゆり戻されていくのだが。意味と無意味の間をさまよい続けることでしか、人間は自身の証明を立てられないのかもしれない。