パーマー・エルドリッチの三つの聖痕

恒常的な高温化がすすんだ地球では強制的な火星移住が行われており、そこで無為な労働の日々を過ごす人々は「パーキー・パット」という名の人形を用いて麻薬を服用していた。輝かしかった在りし日々の空想に浸ることでしか現実から逃避する術がないのが彼らの日常なのだ。そんな折、人類の解放者を名乗る冒険者にして企業家のパーマー・エルドリッチの外宇宙からの帰還が告げられる。…という筋なのだが、ディックなので当然にして丁々発止のアクションが描かれるわけでもなく、英雄賛美のロマンが紡がれるわけでもない。そもそも、結末がハッピーエンドかバッドエンドかすら明らかですらない筆致ぶり。っていうか主人公だれ?どのキャラクターに自分の視点を寄せれば読者としての願望を充足できるんですかね?って感じだったりするのだが、そこらへんの脱構築こそがメインテーマかもとすら思えてくる。現代資本主義に空気のように蔓延したコマーシャリズムへの批判がストーリーの大きな柱のひとつになっている事からもそれは傍証される。しかし、渾然としたプロットの連なりに終盤ふいに宗教的啓示が閃く展開が訪れる。それはビジュアルとしてはえらく滑稽でもあるのだ。金髪の魅力的なスチュワーデスの顔が瞬時に「鉄人28号」めいた異形に変わる。…こんなすべての価値が転倒するかのような発想を大真面目に表現してくるのはディックぐらいだろう、ほんま。ちゅき!