独裁者の城塞(新しい太陽の書 4)

独裁者の城塞 新しい太陽の書 4 (ハヤカワ文庫SF)

独裁者の城塞 新しい太陽の書 4 (ハヤカワ文庫SF)

セヴェリアンの遍歴もこれにて終了。徹頭徹尾、流れに逆らわない姿勢だったというか、自分の感情にも社会システムにもどちらにもその時々で素直な柔軟性のある生き様というか。スラックスでの職務背理が後を引いて、カオスの極みである戦線参加にまで追いやられてこれまでのアイデンティティが結果的に剥ぎ取られると同時にセヴェリアンはおそらく、ある時点より定められていた(それが過去からか未来からかは不明というか無意味?)運命によって独裁者の跡を継ぐ。
 このシーンにおいてセヴェリアンは突然滂沱の涙を流しながら、子どもの頃から独裁者を殺したいほどに憎んでいた事とそれを詫びる気持ちとを同時に告白している(社会システムを象徴する者への強烈な反発と真摯な共感)けど、これまでにも時折セヴェリアンは抑制した自我の片鱗をさらりと明かしており、その淡々としながらも雲間から覗く月のようにきらやかなウルフの手際には思わず感動させられてしまう。精緻を凝らした作風ながら、ウルフの小説からはけして冷たさは感じられない。『なぜなら、それ以外は、さらに悪いものばかりだからだ。』(P338)
 欠陥の多い世界をそれでも包括し愛しようとする試みを「文学」と呼ぶとすれば、惹句にある『SF/ファンタジイ史上最高のシリーズ』という評価も理解できてくる。
 地球外生命体から一度は懲罰を喰らった地球人がふたたびの繁栄の道を手にして新たな明るい太陽の下に生きるようになるということは、ある意味では高次的存在へ頭をたれることを意味している。それ(や他の膨大な意識)を飲み込みつつも、代表にして象徴たる「独裁者」たちは民衆を護ることを担い続けた。その気高さと罪深さとのパノラマの広大に、読み終えた今は目眩するばかり。すべての相反する要素たちは常に混濁し続ける。
 ところで劇中物語が頻発する理由は今巻の第18章で明確となった。すべての経験を記憶し続けるセヴェリアンがこれまで出会った人々への… そうか、この仕掛けこそウルフが組み立てたもっとも大枠に存在するものなのかも。

 シリーズ最終巻にあたる「新しい太陽のウールス」と「SF-マガジン」来月号のウルフ特集も楽しみです。