一文節中に(時に括弧で囲われた)専門用語が頻発するのは、文意の精確を期すための止むを得ない処置なんだろうなとは理解しつつもやはり読みづらさが勝ること多数。若手学者の文体によくあるパターン。さて少年時代には月刊
ファンロードや
月刊OUTといったオタク系投稿雑誌に慣れ親しみ、近年では
2ちゃんねる上で『
電車男』を一気読みして涙を流したという30代の著者が、
アイロニーの際限ない
入れ子合戦を延々と繰り返す羽目となっている現代を生きるゾンビ人間の様相を
あさま山荘事件の
連合赤軍構成員の心情にまでさかのぼって分析している一冊。
糸井重里(80年代代表?)や
ナンシー関(90年代代表かも)、
窪塚俊介(まずは00年代代表といって良さげ)といった時代を代表させうる対象の選出になかなかうなずけるものがありました。特にただひとり独自の方法論でテレビと視聴者との共犯関係と斬り結びつづけた
ナンシー関への、リスペクトに似た距離の取り方は印象に残った。著者は、すべての表象を虚仮にしつつも同時に癒しを求めずにはいられないという矛盾しきった現代において
社会学を修めるということは蛮勇とさえいえると述べている。なればこそ「いつも心にナンシーを」(
大月隆寛による名言)なんだろうなあ。