ヴィヴィアン・マイヤーを探して('13/アメリカ 監督:ジョン・マルーフ、チャーリー・シスケル)

研究素材として古い街の写真を求めていたマルーフが競り落とした膨大なネガフィルム。その撮影者はヴィヴィアン・マイヤー。芸術界では無名であり、インターネット上で検索してもまったく情報に当たることはできなかった。そこでさらに入手した幾つもの箱の中からフィルムに混じる書簡などを手がかりとして、20年代に生まれ90年代に亡くなったマイヤーについて調査をはじめるマルーフ。そして彼女が乳母として渡り歩いていた事実をつきとめ、知己があった人々へのインタビューを重ねていく。
往来の人々や子供たちをふい撃ちのごとく(まさにShot.)切り取るように写したマイヤーの写真の美しさに潜む、研ぎ澄まされた感性、そのさらに奥に隠された底の見えない孤独。あたりさわりのない聞き取り内容からはじまり、後半の構成では彼女が短期間で雇われ先を変えた理由がわかり、寂しい晩生がほの見えてくる。十分な収入も雇用の安定も望めずに、人間のなかでも特に男性を警戒していた(親族血縁に薄かった生涯のため理由は分からない)日々の暮らしの中、古新聞やネガを捨てられず溜め込み、雇用主のいないところで時に子供をいじめ、無料の試食コーナーに通い詰めたり、缶詰を拾ってよく食べていたという彼女の風変わりさが、序々に陰影の濃い印象に移っていく。
芸術家の称揚に終わらず、ヴィヴィアン・マイヤーという自分の中の衝動や社会の無理解と倦まず闘い続けていた一人の女性のほとんど完全なプロフィールが、最後には浮かび上がってくる。華やかで軽やかな人々がマイヤーの展覧会に押し寄せる現代の光景を見ることができていたなら、彼女はなんと呟いただろう。まずは真っ先に胸の前に構えた古めかしいカメラのシャッターを、きっと怒涛の勢いで押しているのだろうけど。