自分は悲観的に生まれついたものだから、ほぼ常に死について思いめぐらしている。しかし最近気付いたのだが、冬の死の予感は観念的であり、本来は生命の盛りであるところの夏に含まれる死の感触の方が、ずっと身体的であり即ち実体的なのである。そこで初めて、思春期の序盤に聞いた、家の裏側にある用水の流れ続ける音がなぜあんなにも怖かったのか自分自身で理解した ……