映画会社は観客が求めるものを作るのみ。批判は公開する前でなくされてからすれば?

反日」というタームがワイドショーの司会者やコメンテイターの間で普通の取り扱いを受けてて、どうにも違和感を持った。映画『靖国』の話題でのことです。外国の趨勢に対して用いるならともかく、この場合は自分の国の映画製作会社の姿勢に対して使っている(まさかまさかとは思うけど中国人監督個人に向かって投げつけているんじゃないよね?)わけで、つまりはかつての「非国民」と同じ意味でしょう。語義矛盾してる。自分が籍を置いている国の利益を害しようと実効的に行動している人がいるとすればその人は精神病理の状態にあるのだろうし、もしそうだとすれば、その人物を真顔で非難する人間や社会もまた判断が傾いている事になる。自分の生きる社会を破壊しようと具体的に考える人間は異常者として治療ないしは矯正を施すべきであっても、一つの思想勢力と拙速に捉える必要はないでしょう。ヒステリーに感情的に対抗する側もまた同じくヒステリー状態にあるってこと。思想表現の自由を信ずるということは、揺れ幅を持つ事の不安に耐える必要がある。自分の国を批判的に眺めることへの脊髄反射的な拒否感の蔓延で始まった今世紀の滑り出しは、後々引いた目で眺めれば残念なものだったといえるかも。