スキャナー・ダークリー

スキャナー・ダークリー (ハヤカワ文庫SF)

スキャナー・ダークリー (ハヤカワ文庫SF)

表紙絵は、映画版で主人公演じたキアヌよりもむしろ冒頭で幻覚の虫に悩まされていたポチャ男さんに似てる気がするけど、小説内の描写を見るにこちらの方がより精確か。この原作を読んで分かったことは、映画版は割愛したエピソードや最初から省かれていたサブキャラはいるものの、全体の流れはほぼ正確に踏襲されたつくりとなっていること。ただしヒロインであるドナの内面を語った部分が映画版において大幅にカットされているのは、映像編としての分かりやすさを上げているとはいえ結果的に作品の深みを切り下げてしまっている。世界の混沌を生きる中での希望と絶望が綾なす更なる心理の混沌、それは主人公が直観的に魅了された彼女のパーソナリティにこそ凝縮されていると原作を読み終えた今、ひしひしと感じられるだけに。…とはいえ、麻薬中毒廃人と化した友人が垣間見た一瞬の閃光(この“ヘヴンズ・ドア”のビジュアル描写はひどく鮮明で印象が強い)に『神様が見せる予告編』を感じつつも、腹立ち紛れにコカコーラ社のトラック荷台を後ろから撃つ、なんというかその直情ぶりには正直付いてけないものもあるのだけど… アメリカ人って他者にも自己にもどうにも攻撃的だなあと。ただし、作中で主人公がジャンキーについて語る、世間に絶望しているけど動物には意外に優しいという実感については今まで思い至らなかった彼らのダウナーなナイーヴさに気付かされた感じ。少しずつ脳が器質的に壊れていく主人公の様子をくりかえし描写する様子に段々うんざりしながらも、読み通した後にはどこか人の精神を信じたくなる優しい気持ち(感謝祭にともだちにプレゼントしたい青い小さな花は、主人公アークターの脳に束の間戻ったパターン認識の閃光の働きによって摘まれた)と現実の荒廃に終わりがないことを感じるやるせなさとの相反する気持ちに包まれる。ディックとは、なんてクールでそれでいて切実な作家であることか。