わけもなくかなしくなるふゆかなきりぎりす

ファミリー劇場で何度目かのVガン最終話をみた。ラストシーンの印象がこれまでから割と変わってみえた。ウッソがカルルを抱き上げてはしゃぐ様に内心の空虚さを感じなくなり、シャクティの涙に屈折したものが見えなくなった。カテジナと彼女とふつうに付き合えなくなったシャクティの間の空気を非日常ととらえなくなり、そして大きな、否、派手派手しいといっていい人生上のイベントを終えたウッソと仲間たちの姿に燃え尽きたという心理を投影しなくなったブラウン管の前の自分を発見したのである。不幸がいかにあたりまえに人生に練りこまれているかをいつのまにか肌身で知っていた、なるほど歳は取っていくものである。