少女コゼット#49

「私のお母さん」:うわあ、ほのぼの消化回かと思ってたらこりゃ重大なコゼットの通過儀礼回。(ほとんど強迫観念的に)嘘のつけないシスター・サンプリスのキャラ付けがここにきて伏線として機能するとは。今回はシリーズ最大のカタルシスをもらってまさに後半は滂沱の涙。ファンティーヌの屈辱と苦難を具体的に知ったコゼット、もはや嫁入り準備万端である。一方そのころ新郎は。花嫁の手を握って送り出しただけであった(もしかしたら、コゼットの主人公としての印象の薄さを軽減するために更にお脳の軽そうな彼氏キャラにされたとか)…  マリウスといえば、ダブルキャストの片割れであるアランの再登場も心憎い配慮。変わりなさそうで何より。演技もそれなりに区別されていて感心しました。メインとサブの違いといいますか。背後からとか鳥瞰とか印象的なコンテ仕事も好調だったけど、演出上でもっともいいなあと思ったのはサンプリスの口からワーテルロー亭でコゼットが労働搾取で虐待されていたと告げられた時に脇で聞いていたガヴローシュが苦しげに顔を歪めたカット。これがあることで、ラストシーンの墓前の報告でドラマの帳尻が合うことの意味合いが重くなる。幼かった頃のガヴの食い扶持が、コゼットの苦難の上にあったこともまた事実だから。そしてまた、ガヴが生き残った原作改変の意味も生まれたわけですね。搾取側と被搾取側が並んで立って未来をみつめるという事。ヴァルジャンを赦した司祭から生まれたちいさな「革命」(この単語が今回のエピソードに唐突に出される思い切りも大したもの)がここに成就した。ED曲へのイレギュラーな雪崩れ込みも神がかってたし。良い最終回でしたと言っていいぐらいの出来だわ。