すなわち「唯狂論」

話の流れは知らないが、母と兄が近所に住む気ぶりの人々(およびその派生筋としての自殺者)について話していて、その見えない割合の多さにあらためて思い至った。疎外感に悩んでいる時は自分が世界にひとりぼっちと痛烈に感じるものだけど、同じように悩んでいる人こそは実は意外と居るというわけで、この感覚は常に忘れないようにしたいものだ。それにしても、自分自身を追い詰めて心が壊れきってしまうタイプな人の話はまことに痛々しい。私の印象では女性に多いように思う。社会から求められる役割像(日本女性のそれはまだまだ幅が狭いと思う。否、断固狭すぎる!)からはみ出ることへの葛藤が原因の。実は(というか続けて私のサイトを訪れてる人は気づいてるだろうけど)私自身が、いわば“半狂い”みたいな感じでかなり社会で能動的に生きることを放棄しちゃってる(ただむしろ私は自分に厳しすぎるんじゃなくて甘すぎて適応できないんだけど。だから葛藤自体はもしかしたら他の人よりないのかも)状態だ。だからそこまで自分の中で苦しみ抜いてしまう人の気持ちがよく分かる気がするんだよねえ。ゆえに切実に伝えたいと思う。おかしいのはあなたじゃなくて世間の方だから!と。だって、人間はそもそも狂ってる種だとしか思えないもの。発達しすぎて応用部分が効きすぎる脳、そして複雑さを増していく社会傾向。これらが示しゆくところは何かというと“何者かをキチガイにしないと全体のキチガイぶりを否定できなくなる状態”だと思う。かくて、声の大きい者が率先する形でレッテル張りが行われる(「キチガイ」は発見されるんではなく作り出される)。それに選ばれたのはたまたま、もしくはあなたがよりマトモだから目を付けられたんだよ! そう、今も苦しんでいる彼ら彼女らに叫びたい。自分を責める必要なんて全然ないよ。