OVA「真ゲッターロボ対ネオゲッターロボ」('00/全4話 監督:川越 淳)

タイトルで味方のロボット同士がガッツリ戦闘しあうストーリーを連想するが、組み合いません。というか二体並んで立ってるシーンすらありません(OP除く)。かつて昭和年代に子どもたちを映画館へ吸い寄せていた「東映まんがまつり」へのオマージュをストーリー構成とタイトルとで形式としているわけです。いきなりネタバレすると、比較的運用が安定しているネオゲッターロボがストーリー後半に動かせなくなることにより、危険度が高くて封印されていた真ゲッターロボに主人公たちが乗り換える形となる。そこからさらに"神ゲッターロボ"へと進化します。

さて、実質一時間半というまさにプログラムピクチャーに最適な尺で製作されている通称『ネオゲ』です。ちなみにゲッターOVA三作では個人的にイチオシ。まず何が佳いかというと、全4話という短期決戦型コンテンツゆえにおそらくは第一線級アニメーターを揃えることが可能だったために動画のみならず画面の据わりを決定するレイアウトからキメッキメな点。もうこれは修辞抜きで全カットいい。全カット画角が快感。さらに地味なところでは、背景美術が筆痕が残ったような昭和の東映アニメっぽさを意識していると思われる凝りよう。メカに生物めいた弾力性を持たせてあるかのようなアニメートとともにパッと見で気付かないレベルでもまんがまつりオマージュは通されているわけです。

そしてロボットアニメとしての見せ場と見せ場をほとんど強引で出たとこまかせにすら見える手腕で繋いでいる構成。これはまた、本作の下敷きの一つとなっている"ゲッターロボサーガ"の特長を巧みにとらえている点であり、なおかつ昭和のロボットアニメ一般のパスティーシュにもなっている。明朗快活な基調で演出されながらも、アメリカとの屈託をにじませる共闘展開、人種間闘争による領土侵攻を想起しなくもない恐竜帝国とのふたたびの攻防など、昭和の戦後ドラマツルギーがほのかにまぶされているあたりも単なる外連味以上のスパイスになっているといえるかもしれない。さらにいえば、天涯孤独の未成年である號が富裕層のための闇プロレスで賞金稼ぎとなっている設定のほの暗さ、テストパイロットを使い捨てにして表情を変えない司令となった隼人、戦死する際にかならず皇帝の名を叫ぶムーブで洗脳に近いものを匂わせるハチュウ人類などダークさでいえば他のOVA二作にけっして引けを取ってはいない。

ただし、あくまでメインコンセプトは「東映まんがまつり」なので、その分は他のキャラクターをコミカル成分たかめにすることで全体の雰囲気のバランスを取っている。具体的にいえば、東映旧作のメインパイロットであった竜馬が武蔵殉職の傷心から世捨て人になっていて肉弾戦サポート役として山猿のように跳ねまわったり、敷島博士が味方をも研究材料にしかねないマッドサイエンティ…ストなのはいつも通りだった。(そういえば早乙女博士が正気の人だったのはどう解釈すればいいのかな。あのキャラは常に最初から狂っていないとゲッター線の得体の知れなさが引き立たないんだけど、彼が人類防衛の目的と手段を転倒させてないって描写そのものが本作のゲッター線の希望的解釈と捉えるべきか。)

ゲッターロボの作品世界に慣れていない場合、突然に展開されるストーリー、描写が極端なまま変化していく戦況や局面、SF考証やる気あります?という大道具使い(テキサスマックの乗馬だけは自分は今も納得してない)にどうしても戸惑ってしまうと思う。自分もそうでした。しかし何周か視聴を重ねていると、テラフォーミングと攻撃を同時に行う巨大円盤や、その機能によって自ら巨大ロボット化するハチュウ人類の帝王ゴール、人類にとって福音なのか破滅の前兆なのかやっぱり分からないゲッター線の謎エネルギー放射など、イメージパンチ優先のつるべ落としこそが他にない魅力として受け入れられてくる。そして最大最後の番狂わせが、ほのぼのとした気楽な雰囲気で終幕する点である。…まあそれが番外編としてつくられた「東映まんがまつり」オマージュの規定ラインなのだが、他シリーズでパイロットたちが辿る運命と比べる時なんともいえない余韻が味わえるのよ…

ともあれ、戦勝国アメリカとの対等な共闘!いまだ残る大戦の記憶の克服!不安もあるけど科学進歩への希望! という昭和子ども番組三大テーマをさりげなく盛り込んで、平成の世にプログラムピクチャーの王道を蘇らせた本作、アニメーションの傑作としてもっと広く評価されても良いのではと思う次第です。