すべてが3Dプリンタ女体・中二病突破主義・メスゴリラナイーヴ宣言になる。

攻殻機動隊SAC‗2045」全24話 (監督:神山健治×荒牧伸志) を視終えた。やりたい放題度では攻殻史上「イノセンス」と並ぶのではないだろうか。前半ではエピソード同士の繋がりの見えなさが散漫に思えたりもしたものの、振り返ってみるといつも通りに作家性が高いシリーズになっていた。

サスティナブル・ウォー、すなわち『持続可能戦争』という架空の概念(オーウェル1984」からの借用)が本作の背骨となっている。それは米帝がAIを用いて世界の論調を操作して生み出した新たなる戦争の形(なお、具体的な描写が乏しかったために私はその全体図を結局最後までつかむことができなかった)。いうなれば、"終わりのない日常"と表裏一体の"終わりのない紛争"、小競り合いを永遠に繰り返すことを必要悪として認める世界観がそのタームには籠められている。産業的に持続可能な戦争を恒久的に果たすためのツールとして米帝が管理下に置くAI。その人工知能は自らをウイルス化して人間の電脳に感染させるという暴走をやがて行うことになり、そうして生みだされたのが今回の敵である『ポスト・ヒューマン』だ。彼らは人間ではあり得ない動きをやってのけ、高い殺傷能力と冷徹な判断力を持ち、持続可能戦争を果たす目的に邁進するために本来の人格を上書きされてしまう。しかし草薙少佐率いる9課は例外的なポスト・ヒューマンをやがて捜査線上で見出すことになる。ありふれた男子中学生のシマムラタカシだ。

さてシマムラタカシの登場により、物語のレイヤーは不透明度が増すことになる。一言でいえば、現実と妄想の境界線がはなはだ不明確になるのだ。タカシがかつて幼い従妹を失った過去の出来事(80年代の邦画「野生の証明」を少し思い出したりもする)、元空挺団の中年男、眼鏡をかけた生真面目な美少女委員長。すべてが嘘くさいというか、昭和年代のジュブナイルのシーンを繋いだように薄っぺらいのだ。しかし更なる混乱に視聴者を陥れるのは、シマムラタカシのノスタルジックな内的世界に、9課の一員であるトグサが巻き込まれてしまうことだ。彼は元空挺団のおじさんが駆るトラックに同乗して仲間たちの前から立ち去る。ト、トグサくん!とっくに新人ポジから抜け出したと思ってたんだけど。

これ以後、もう何が基底現実で何処からがポスト・ヒューマンの頂点であるシマムラタカシが他者の電脳をハックして見せているフェイクなのかが判別不能となる。トグサが過去に潜入捜査でしくじって遁走した雪原も、眼鏡委員長カナミの実在も、復興計画が絶賛遅延中の東京でタカシの賛同者たちが集う桜まつりの屋台も、すべてはノスタルジックな虚構なのか、男子中学生の空想フィルターがかかった現実なのか。フル3DCGという制作スタイルも相まって、リアリティラインはずっと宙づりのままストーリーは進行していく。

ただし、まさに中学二年生の男の子がノートに書き綴ったようなドンパチ展開は多彩に繰り広げられて、ミリタリーアクションとしては満足度は高くサクサクと飽くことはなく楽しめる。私のイチオシはルーフトップから上半身を出して重機関銃を連射するミズカネスズカの追撃。なお、ミズカネはタカシの側近であるタイトスカートの秘書のような眼鏡美女だが、二人のなれそめはまったく描かれないので一際リアリティの薄いキャラクターだ。なろう小説か?なろう小説なのかな?タカシはなろう作家だったりする?

やがてシマムラタカシとミズカネスズカは、米帝原子力潜水艦の食糧用3Dプリンタで義体を転送する奇策によって瞬時に艦内を制圧することで、米帝を相手に独立国宣言を行う。シマムラ率いる集団は自らを『N(エヌ)』と名乗るのだが、Nとは何を意味するのかは劇中では特定されない。ニュージェネレーションかもしれないし、ノスタルジー主義かもしれないし、NETFLIX愛好会かもしれないし、なろう小説宣言かもね?(自説への固執) 9課、N、米帝が送りこんできたNavy SEALs重機装部隊(デザインがとてもAPPLESEED色濃くてわくわくする)の三つ巴の激しい交戦のすえ、原潜から核ミサイルはとうとう発射されてしまう。そして世界は…  どうなったか分からない。なおシリーズ終幕でもはっきり明示はされません。基底現実はここで一旦壊れてしまったとしか自分は解釈できなかった。たとえてみればジョジョ第六部みたいな感じ。

さて、考えこんでもしょうがないストーリーの解釈については観た各々がやればいいってことで、ここは終盤でシマムラタカシと草薙少佐が一対一で会話するなかで、タカシが少佐を称した『まれなロマンチスト』という言葉に焦点を当てたい。自分はこういう(ああ、これを音声として上げたくて作品にしたのだな)というセリフに弱い方で、"ぐだぐだ言わずに黙るか偉くなるかしろバーカ!"みたいな意味で解釈されがちな、攻殻さいだい有名決め文句の、返句になっているように受け取った。少佐が戦うのはお金とスリルのためだけじゃない。彼女もまた、人類がもっと自然なプロセスを経て新たなステージに移行することを信じて行動している一人だったと劇中で明示された瞬間だった。だからこの数秒だけでもう断然好きですね、このA級ポリティクスミステリーをB級サイバーアクションでまぶした作品。…にぎやかしキュート新人として登場した江崎プリンが、ポスト・ヒューマンと人間とを橋渡しする存在として草薙少佐に背を押される希望の示し方もソフトな着陸点として成っていたし。

シマムラたちが目指したダブルシンク二重思考)の理想世界。現実と妄想とを等価に扱うのが人間の弱点でもあり強みでもある。ゆえにネットで不毛な炎上騒ぎもしょっちゅう起こるし、かと思えば理念を形として現実を刷新したりもする。ただ問題は、ポスト・トゥルースの時代においてダブルシンクの統制を独占的に行おうとする者が現れるシステム由来の脆弱性だ。そのアクチュアルな課題へと、ポエティックに過剰に寄らず、安易なイデオロギー揶揄にも堕さなかった手腕はさすがの矜持だと思う。

(追記:無人島のような旧首都で桜まつりを楽しんでいる『N』たちの姿は何かを思いだすと考えていたんだけど、「ニコニコ大会議」が盛り上がっていた時の印象だった。そしてそこで集う人々が名指しで異端者を狩り出す時に使う言葉『N(えぬ)ぽ』。こちらは匿名掲示板発祥の「ぬるぽ - Wikipedia」を思わせる。…トグサが迷い込んだイメージ継ぎ接ぎ世界は、当初はシマムラタカシ個人の過去心象とトグサ本人の記憶とがシームレスになった領域かと考えられたが、第12話『すべてがNになる。』以降、画面に映るのはNたち全員の"あったかもしれないが決してなかった/あってほしかったがないと認めざるを得ないゆえに切望する疑似ノスタルジー"の鏡像として意識して視るのがあるいは正解なのかもしれない。とはいえその手法が作品として十全に成功しているかといえば、保留の印が付く。)