2021年9月に読んだ本まとめ

海の鎖

編者が長い翻訳生活の中で選り抜いた、偏愛SFアンソロジーというコンセプトということもあり読んでみてすぐの印象はそれぞれ地味なのだが、構成やレトリックの巧みさ、テーマ性の卓抜さで滋味がじきに後追いしてくる。「神々の贈り物」や「海の鎖」で大テーマ“世界の変容”と小テーマ“視点人物の内面の事情”とが交錯して語られるその哀切さ。現実の展望を検証するリアリストの諦観と、サイエンスフィクションを愛する者として想像の射程を伸ばす視点が巧みに交錯する「フェルミの冬」のあまりに繊細な完璧さ。そして「最後のジェリー・フェイギン・ショー」のクールな可笑しさ。『未来の文学』レーベルの掉尾を飾るにふさわしい余韻だった。

 

椅子に座って、いつでもできる 着席ヨーガ

配信動画再生しながら体動かすの面倒だし、ヨガマットいきなり買うの躊躇するしなーという時におススメ。簡単な動作だけしか紹介されていないものの、ヨガを実践しながら同時になぜこの動きをするのかという思想アプローチも付いてるので、初心者の求める情報量によく合致していると思う。

 

女のいない男たち

映画「ドライブ・マイ・カー」の原作…というより文章でのイメージボード集にあたるか。一旦は側にいて存分に触れられたはずの特別な女を心の中で見失った時、男の精神に何が起こるのかを、それぞれ異なった設定で綴る短編で構成されていて、少しだけ不条理で現実離れした内容も時には混じる。主人公たちは、そもそも相手との距離を測るメルクマールさえ自分が持ったことはなかったのではという気付きに至る。…村上春樹の小説は久しぶりに読んだけど、相変わらずすぐセックスの話になるなーという印象だ。男女のパートナーであっても性交が恒常的に行われるとは限らない世界観の小説は、令和の今いくらでもあるので(やれやれ昭和の男根主義者は)とぼくは首を振ったわけだが、語り口の視点(ギアだ)を入れ代えて日常描写に運命論の静かな断定形が流れ込む時、構文ドライビングテクニックの巧さにやはり唸らされる。うん、ノーベル文学賞もらうべき。

 

八犬伝(上・下)

曲亭馬琴が晩年に至るまで手掛けつづけた講談本「南総里見八犬伝」を現代文に起こしたパートと、偏屈をやや通り越して偏執の性を持つ戯作者馬琴が江戸の町に住まうパートとを交互に構成するというアイデアだけでもう大天才。これを新聞小説として毎朝読んでいた80年代の読者がうらやましい。上巻は八犬伝パートが面白く、下巻は現実世界の馬琴の深くとめどない懊悩の描写に強く引き込まれる。これは八犬伝という物語の出来の不均等さ(山田風太郎自身が地の文で評している)に由来もするが、それ以上に馬琴が老いと病と困窮と孤独の中で、戯作そのものに次第に揺るがない歓びを見つけるというテーマの企みとなっている。<虚>と<実>とが同じ地平で綴られる最終章では思わぬ形の伴奏者すら見出だされていて、絵物語でしかない小説になぜ人は真剣になるのかの鋭い洞察となり、八犬士と馬琴と作者との三つの次元が繋がれた面にすら構図が見えてくる。