2021年8月に観た映画まとめ

クローブヒッチ・キラー(’18 アメリカ/監督:ダンカン・スキルズ)

もしも自分の父が未解決連続殺人の犯人だという証拠に気づいてしまったのなら…という悪夢そのものなシチュエーションを平熱な演出で日常のつづきのように描き出す。それによって、同じように日々だれもが何かを見て見ぬふりをしているのだという意図がじんわり伝わってくる。だから一度は見過ごそうと懐柔を受け入れた少年の姿と、ラストシーンでの彼の姿とはまったく乖離しては見えない。生きている人間はすべてが、今ある<絆>のために誰かを見捨てる者なのだから。その責任を各々がどうとらえるかに違いがあるだけだ。サスペンススリラーなのに、あらゆるカットがほっこりとした柔らかな生活感に包まれているのが一貫した手法になっていてその統一性の高さが素晴らしい。

スーパーノヴァ ('20 イギリス/監督:ハリー・マックイーン)

数十年の生活を共にしたパートナーたちの最後の日々を描く。それを初老の男性同士で描くというだけの内容なのだが、それが映画として作品として受け入れられるまでにかかった年数のことを思う時、超新星を夜空に想像する意味が十全に分かる仕掛けなのかもしれない。その時がくれば自死の覚悟がある(あえてそうしない覚悟)、覚悟がないことを認める覚悟(打ちのめされてもルーティーンを続ける覚悟)、相反する意思に引き裂かれる劇中の二人を見ていると、異性婚にしろ同性婚にしろ、個人として独立しているからこそ一緒に生きる意味があると感じることが発見できた。

 

〈ネット配信で視たもの〉

VIDEOPHOBIA(’19/監督:宮崎大祐

クラブで知り合った見知らぬ男のマンションでの情事を録画され、インターネットに放流された女性の焦りとその後の生活。在日韓国人という主人公の設定は作劇の重心に明確に置かれるわけではないが、地下水脈のようにひたひたと常に意識される演出となっている。若い主人公の無意識を常にトレースされているような感覚と、その母がひとりきりの居間で垣間見せる疲れ果てた表情とは時間軸だけをずらした同一のものなのだ。肩を叩かれるラストカット。そこに生活者としての強さを見るか、今にも崩れ落ちそうな精神の断崖を見るか。

 

クワイエット・プレイス(’18 アメリカ/監督:ジョン・クラシンスキー)

劇場で観たシリーズ第二作が面白かったので、順序が逆になったが時系列が前のこちらもあたってみた。家族の来歴を理解するには良かったが、ストーリー構成的にほぼ同じ。しかも第二作の方がシナリオも演出も発展形として各段に洗練されているので、こちらを飛ばしても良いので第二作の方を観ましょう… ところでドジっ子(母譲りか?)でビビリな長男が愛すべきキャラですね。

 

夜空はいつでも最高密度の青色だ(’18/監督:石井裕也

口にのぼらせる言葉を過剰に溢れさせて同僚をうっとおしがらせる現場作業員の主人公を演じる池松壮亮のギリギリセーフ感にスリラーを覚える。画面に映る生活感すべてが受容できるギリギリなあたり、彼は現代日本を人格化した妖精なのかもしれない。とすればこれは、石橋静河演じる看護師が、キャバクラの副業をしたりしながらも東京での生活とそこに暮らしつづける自分を何とか愛して肯定しようとする映画なのだ。

 

おもかげ(’19 スペイン、フランス/監督:ロドリゴ・ソロゴイェン)

失くしたわが子に似た少年を愛してしまった中年女が見る中流家庭の敵視地獄絵図が、現実的に見ても作劇上でも妥当な反応だけに耐えがたいまでにキツかった。しかしこういう風に幻想を廃してなお残ったものが見つけられるこの映画を支える視点は、つよく鍛えあげられている。恋愛は幻想がないと出来ないけど、幻想を手放すことでしか相手を確認できないものなんだ。現代のコンプライアンスを導入してもここまでに純粋な恋愛映画が出来る。曇った日の方が多い渚の映し方がほんとうに美しかったな。

 

ばるぼら(’20/監督:手塚 眞)

手塚監督の「白痴」は公開当時も好きだったしもう一度観たいと思ってる。本作のデカダンぶりも決して悪くない。が、翻案としてどうもグリップが弱くて入り込めなかった。もっと現実と幻想との意識を弱めるか強めるか、どちらかに振れてほしい。クリストファー・ドイルが監督した撮影は重厚感があって良かった。

 

ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒(’19 アメリカ/監督:クリス・バトラー)

ストップモーションアニメ。スタジオライカの抑え目な彩度の画面基調は好き。探検家の相棒となる類人猿(先人類?)が街で摩擦を起こす様子がもっと見たかったかも。列車、海上、氷山と次々に移り替わる舞台はリッチではあるけど、印象がばらけてしまっているとも感じた。…あと探検家はもっとマッチョな方がドラマにメリハリ効いたかも。