2020年7月に観た映画まとめ

ルース・エドガー (’19 アメリカ/監督:ジュリアス・オナー)

黒人生徒と黒人教師の学内での対立を描く。もうこの時点で新しい。はっきりとした形のない敵意の応酬は、出口もなければ飽和点もない。ゴールのないランニングに喘ぐルースのラストショット。

 

どこへ出しても恥かしい人 (’19 監督:佐々木育野)

いやぜんぜん恥ずかしくないやん!と早々にツッコまざるを得ない被写体・友川カズキの飄々と楽しげに生きる姿。もっと深く射し込んでほしさは多少あるが、高齢者といっていい年代の独り身の目新しいモデルスタイルとしては印象に残る。

 

ジョン・F・ドノヴァンの死と生 (’18 カナダ・イギリス/監督:グザヴィエ・ドラン)

うーん、自分あまりこの監督と相性よくないみたいね。ラストシーンの仕掛けは感心したのでミュージックビデオとして五分でまとめ直してほしい感じ。

 

ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語 (’19 アメリカ/監督:グレタ・ガーウィグ)

途中までは原作通りなだけに、終盤の説明セリフなしで展開されるトリックには驚かされた。二重に奏でられる女性のエンパワメント。これは、"私"の、"私たち"が綴る、物語。ミスでもミセスでも変わらない。

 

はちどり (’18 韓国・アメリカ/監督:キム・ボラ)

両親の夫婦げんかの数日後、少女は割れた照明ランプの笠を見つける。光にかざしたその形の意味するところは、少女だけが知る。親に、兄妹に、友人に、社会に、揺り動かされても、自分の形を見いだすことは誰にも止められない。韓国社会の躍動感が通底音で響く。

 

ナイチンゲール (’18 オーストラリア・カナダ・アメリカ/監督:ジェニファー・ケント)

暴力が蔓延する植民地時代のオーストラリア。主人公もまた復讐の怒りに駆られて凄惨な攻撃を加えるが、真実の仇に相対したとき長年の被虐に心を覆われ遁走する。その味気ない無残さ。震える声で特権者の酒場で歌う以上の勇気を持たないやるせなさは、ラストシーンでも変わらないが、今はまだそこから始めるしかないのだろう。虐げられた者同士を見いだし合うしか。

 

ホドロフスキーのサイコマジック(’19 フランス/監督:アレハンドロ・ホドロフスキー)

ホドロフスキー監督、チリでどんだけ人気よ!と驚かされるカリスマぶり。その心理治療の様子は世紀をまたいだ今みるとカルト集団?インチキ商法??と眉にツバをつけざるを得ないが、ドキュメンタリーの体裁で撮られながらも荒野や街並みの空気感や色彩の際立ちぶりに、たしかにこれは魔術師の手業ですわなと妙に納得した。