2019年7月に観た映画まとめ

主戦場 ('19/監督:ミキ・デザキ)

少女像をめぐって、日本からやってきた発言者が総じて薄笑いで自分たちの間しか通じない独善的な歴史修正主義以前の女性蔑視コメントを口から垂れ流し、アメリカ人議長から「恥を知りなさい」と一喝される前後の映像を観れただけでも劇場に足を運んだ甲斐があった。フリーメーソンのような存在感を増す『日本会議』の影響力にまで踏み込んでおり、淡々とした雰囲気のドキュメンタリーであるからこそ当事者意識の高まりを持たされずにはいられない。上映後にほぼ満席の館内で拍手が起こったが、自分にはとてもそんな元気は湧かなかった。

 

海獣の子供 ('19/監督:渡辺 歩)

ヒロインの、少年二人との出会いとひと夏の冒険という部分ではちょっとワクワクするものがあった(『夏は、体が軽い!』)ものの、深海の表現ではあまり惹かれるものがなかったのは自分が明るく陽光に透き通る海面の方が好きなせいかもしれない。あっ、食事シーンは美味しそうだった。テーマへの接近が浅かったのも気になった。結果としては原作とはかなり別ものになったなという感想。

 

魂のゆくえ ('17 アメリカ/監督:ポール・シュレイダー)

原題は『first reformed』。カルヴァン派の小さな教会の名前。主人公は大病のしるしに怯える敬虔な神父。彼はひとりの環境保護主義の男の自殺を目撃し、その身重の妻のメンタルをケアしながらも、彼自身が強迫観念に追い詰められていく。クライマックスでのジタバタぶりはややコメディめいてはいるものの、その滑稽さすらもすべては延々と続く相対主義の現代を示しているようで、笑えるようで笑えないようななんとも座りの悪さが全編に満ちている。が、それは決してこの作品の姿勢が優柔不断だというわけではない。そうする事でしか描けない題材なのだ。ラストにカタルシスがあるにはあるが、それもまた諸々のレイヤーの条件付き。結局は個々が考え続けるしかない。

 

嵐電 ('19/監督:鈴木卓爾)

京都西部を走る嵐山鉄道沿線には映画製作にまつわる施設が複数ある。そんな周辺を舞台に、三組の世代が異なるカップルが恋をめぐって現実と幻想とを歩き回る。かつてあった絆、始まりつつある恋、形になるかもしれない思い。それらはまるで一つの時間軸に存在する、とある二人の過去・現在・未来のようだ。見失ったかのようで、旅に出た場所でふっと再会したように感じる時もある。不本意に手放してしまった何かを見つけにいく、そういう電車の乗り方もある。

 

誰もがそれを知っている ('18 スペイン・フランス・イタリア/監督:アスガー・ファルハディ)

姉の結婚のために帰郷したスペインの実家で、娘の誘拐騒ぎが起こる。錯綜する人間関係の中で持ち上がる二つの一族のあいだの確執。宴のあと、残った静寂だけが拭い去れないしみとして残る、その虚脱感。まさしく誰もが覚えのあるありふれた人生の一幕。中盤でのパーティのラテン気質あふれるライブ演奏シーンが素晴らしかった。表裏一体なんだよね、それと呪わしいトラブルの根源とは。

 

(ネット配信で視たもの)

ヒステリア ('11 イギリス・フランス・ドイツ・ルクセンブルク/監督:ターニャ・ウェクスラー)

かつてのロマンチックコメディー映画を踏襲した気軽さが魅力を発揮。ウーマンリブな意識で社会改良運動に励む姉と、才色兼備で控えめな父親のお気に入りな妹の間で揺れる、若き医師を主人公に女性向け性具の開発物語を実話を元に辿る。富裕なマダムたちに治療と称したマッサージを手づから施すシーンをどぎつくなく演出できたのは、主演のヒュー・ダンシーのソフトな雰囲気が大きい。