2018年5月に観た映画まとめ

ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書('17 アメリカ/監督:スティーヴン・スピルバーグ)
スピルバーグの映画、良く言えばシンプル、悪く見れば粗いなーというのが観終わった後の感想。ただ、軍事機密の漏洩が描写にあってただの一人も人死にを出さない節度の高さになにか堅い志を感じた。高級紙の女性社主の逡巡はくどくないが、しかし資本家にもやはり選択によって失うものを恐れる瞬間はあるし、そこに自分の存在を賭ける意味にもまた違いはないのだなとはよく伝わってきた。女性といえば、家庭の主婦の描かれ方にもポリコレが波及した現代性がさりげなく感じられる。彼女らや子どもたちが当然に感じるであろう不安も、また企業の決意には関係が出てくる。
ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ('17 アメリカ/監督: マイケル・ショウォルター)
パキスタンアメリカ人のコメディアンが体験した実話を、本人の脚本と主演にて映画化。ライブで知り合った彼女がケンカした折に謎の急病に倒れる。主人公は彼女の両親と交流を深めつつ、実家との距離感を見直し、彼女の存在の重要さをあらためて確認していく。…今年一番の清涼剤映画。家は裕福ながらも、結婚には同じパキスタン系の女性でないとという保守的な思想が当然のように流れており、毎週にように見合い相手を呼び寄せられる様子には等身大の共感を持つ。ライブでのレイシストの野次ですらごくありふれた日常の一面として描いており、移民としてアメリカで暮らす追体験ができた事が何よりも新鮮だった。マクドナルドの店員にあたった後、ひっくり返したゴミ箱をみずから拾い直すシーンは笑えると同時に感動的で、時代表現の最先端の映画でもあった。なお、Amazonの映画レーベルの製作らしい。最近よく目にするようになった。
ナチュラル・ウーマン('17 アメリカ、スペイン、チリ、ドイツ /監督:セヴァスティアン・レリオ)
歌手の主人公が遭遇するLGBT差別が、ステレオタイプな殴る蹴るでない事がかえってリアルで突き刺さってくる。相対的に社会階層の高いはずの人々から口汚くののしられつつも、恋人の忘れ形見となった愛犬を取り戻すために車の上で跳ねてみせるシーンは滑稽だけど、ただそれだけの印象に留まらない。火葬場での幻想的な描写は彼女自身の心の葛藤をよく伝えてきて心苦しくなった。人はなんと色んなものと戦わなければいけないんだろう。歌う場面は多くないが、それだけに込められた意味が強く響く。
君の名前で僕を呼んで('17 イタリア・フランス・ブラジル・アメリカ/監督:ルカ・グァダニーノ)
夏の心は、外の雑音が多くなるほどに内の緊張が高まっていく界面。純粋な短い恋愛を、一見して雑多な要素と散漫な描写で綴る。10代の感性は反射する面の数が多くて息苦しいほどだった事を自然と思い出してしまう。家族との絆が恋人との交流と同じほどの意味合いを持つというこの脚色の離れ業。日常という岩盤に埋め込まれた鉱石のきらめき。『全部、わすれない。』
犬ヶ島('18 アメリカ/監督:ウェス・アンダーソン)
ストップモーション・アニメで動く犬たちの健気さや個性は楽しかったものの、人間たちのドラマがやや薄い。日本を舞台にしたということならば因縁の泥くささが欲しかったなと感じた。アンダーソンの平面構成の画面センスはやはり実写での方が映えるのではないかとも。赤外線監視カメラのモニター映像を2Dアニメーションで区別して表現していたのは面白いアイデア