第四の館

今まで自分は、映画を観るときと同じように小説にもビジュアル変換しやすいインパクトのある山場が必要なのではないかと思いこんできたが、ここにきてその先入観が崩れはじめている。
会話のやりとりがやたら多く(第十二章における医師とフォーリー=スミスとの狂気をめぐる神学問答のような長いダイアローグがこの作品のクライマックスといえるかもしれない)、知識の引用にしても四方八方に散らばってる印象がややある。それにも関わらずこの長編小説は面白い。ナンセンスな駄法螺SFの紡ぎ手というラファティのこれまでのイメージが覆されたこと抜きでも、聖なる阿呆フレディ・フォーリーを主人公として彼の後光が序々に増していくのをゆっくりと描いているテーマ指向ぶりに、なにか強いメッセージ性に近いものが感じられる。
最終章は、夜明けの夢のようにぐずぐずと不定形な情景が展開される。しかしそこを過ぎた後に一瞬の天啓のようなものが脳裏を閃き、そしてすぐに去る。映画と違って、小説はスクリプトの積み重ねだけで意味があるのだ。そこに波を見出すのは読者の自由の範疇にある。そんな風通しのよさを、世界に存在するあらゆる境界を踏み崩す企みを持ったこの作品を読みながらずっと感じていた。