009 RE:CYBORG ('12/監督:神山健治)

ミニマムに絞られた脚本の割には、派手な破壊シーンや躍動感のあるアクションが多いため、ボリューミィな印象はなかなかのもの。自分にとっては初めての3D映画体験となったので、他との比較はできないが違和感なく疑似立体ショーを楽しめたので、映画館に足を運んでよかったと無心に思える興行だった。クライマックスの丁々発止な状況二転三転には没入できたし。
それにしてもこの作品における島村ジョーの立場は、独特に思える。最初は主体性がないようでいて過激な思考を隠し持った男子高校生として登場し、不老のサイボーグ戦士としての記憶を取り戻したあとも正体不明の敵に近いような発言で周囲に不安を兆す(この点については簡単にジョーを疑うギルモア博士の身勝手さの方が強度が高いが)。遠くなった過去と近い現在までとがようやく目盛りが合い、十全のアイデンティティを取り戻したあとでも世界同時多発的に出没する『彼の声』の実存を疑わないジョーは、ここに至っても典型的ヒーロー像とは合致しない気がする。彼が彼であることを担保するおそらく唯一の要素が、ジョーにベタ惚れな同僚のフランソワーズ。その一点を覗けば、ジョーの自我同一性の薄さは、現代の若者へメッセージを送ろうとする神山監督の仕掛けだったように思える。そんな青臭さが、しかし泥臭くはないというバランス感覚は素晴らしい。
さて、天使問題。それはつまるところエピローグ部分の件。そもそも、服を脱ぎ捨ててサイボーグ部分があらわになった002ことジェットの肉体が天使をおもわせる要素で構成されていた事、中盤のハインリヒ主導による神学論争が量子論のように観察者効果へとすべりこんでいたように思われる事。部分が全体と響きあうサブリミナルな効果が散りばめられていたことからして、『彼』はいたし、ジョーの強い想いと自己犠牲を伴う行動の代償により、世界は少しだけ良い方向へズレ、奇跡は期間限定、あるいは個体部分で顕現したと自分は理解することにした。ずいぶん大胆な筋を通したなとも思ったが、しかし原作者である石ノ森氏の作風としては、案外に合致しているとも考える。