戦う司書#27(終)「世界の力」

本作のサブタイトルの定型は、三つの単語が二つの並立助詞(“と”)によって繋がれる。その意は、自分と他者と世界の三すくみの関係。しかしこの最終話だけそれが破られる。三者は一つに融合し、和解する。それは作劇においては「大団円」と呼ばれている。
期日の遅れた武装司書パーティー。ただし死者オンリー。ハミュッツが初めて仲間、そして共闘者として認めることにより仮想世界に召還された司書たちが、現世の因縁から解き放たれて乱舞し激励を飛ばしあう。ルルタは愛をこめてニーニウに戦う意思の象徴である短剣を突きたて、かつて失意とともに殺されたヴォルケンはその張本人であるハミュッツのおだやかで家庭的でさえある最期を看取る。ここに倒置の表意は敷衍して完成され、死を愛として受け止めていた女の動転は正位置に戻った。外の世界は神意からより遠ざかり“人の時代”が始まるのだろうし、武装司書たちも解散して野に下る。…
うん、〆られてるね。初見時は仮想臓腑内でキャラ全員の性格がズレたように思えたし、シナリオが駆け足気味に思えたけど、設定を思い返した後ならけっこう違和感なく呑み込める。ラストバトルの中心部を比喩としてとらえれば無礼講宴会にハミュッツが部下たちを招いて、敵にまで盃を回した。一人の哀れな女が普通の人間としての自分を見出したという一点だけでもドラマとして完成されてる。ハミュッツの最期の顔は、妙に所帯じみたように描かれてさえ見えて、しかもそれが幸せそうだった…
ただ一点、やはりEDは特別仕様でほしかったな。今までの司書の活躍シーンのダイジェストでいいので。それがもし観られていたら、一冊の本のように彼らの活躍は時間軸に関係なく尊いものであったし引いてみれば人の営み全体をひっくるめて「愛」と呼ぶことができるというテーマ確認にもなったと思う。とはいえ、今はただただ、異色作であり意欲作を作りきったスタッフに感謝したい。最終回においてもキレのあるアクションが多かった。ハミュッツがニーニウに走り寄るルルタを援護して投石するシーンの、プリミティヴかつダイナミックな動画は特に印象に残る。
(追記:アニメ感想率調査の折やツイッターの方でも総論などやりたいと思います。)