大正女官、宮中語り
民主主義のルールと精神 -- それはいかにして生き返るのか
大正女官、宮中語り
民主主義のルールと精神 -- それはいかにして生き返るのか
これまで今川アニメを視ていてどうにもしこりが残っていた部分が「真マジンガー 衝撃!Z編」('09)*1にはなかったのが自分で不思議で、ブログエントリしておく気になった。
いや、全然しこりがないわけではない。「大団円」というサブタイトルながら何にも終わってない第1話、それとほぼ同内容の最終話という不可解な構成の意味を十全に吞み込めたわけではない。だが、この作品でもっともテーマとして重要なのは"我々が知る『兜甲児』という少年戦士は、いかにして英雄的存在に成長したのか"という点だった。それに納得できたのが、他の今川ロボット作品と大きく違う。自分が本作でもっとも評価するポイント。それは「科学」というマチズモ象徴に取りつかれた父親キャラクターの情けなさを描くことに躊躇がない点だ。今川監督はようやく、長く続いた自己パロディ的ループから抜け出せたのだと思う。*2 本当に氏が描きたかったのは、GRやGガンではなく00年代の作品群ではないかと自分は最近思い至っている。
もっとも、この原作リミックス(脚本・構成は今川監督自身が担当。構成はー監督の他作品同様ー難解さがあるが、脚本の方はダイアローグにも不自然さがなく、描かれてない部分にも想像を誘う良い出来だと思う)においては、甲児の父親役はふたりいる。生物学上の父である兜剣蔵と、育ての父となった祖父の兜十蔵だ。甲児は後者をこよなく敬愛し、面識を持たない前者には他人と同じ感慨しか抱いていない。そういったエクスキューズはあるものの、甲児は当初は感情的に不満をぶつけていた母である錦織つばさとも戦線同盟者として信頼しあい、そして母の過去への苦しみ(その源泉は9割方、夫である剣蔵のせい)を追体験することで理解も果たした。だからこそ彼は形骸的な家父長制システムというしがらみすら超えて、永遠に不可能性へと挑みつづける戦士(第2話冒頭の描写はそれを意味していると推察できる)へと成長した。その家庭ドラマが、熱海という昭和の香りを色濃く残す舞台設定において日本映画的エモーショナルを獲得して自然と伝わるようになっていた。その成功を自分はなにより本作において評価するところである。大胆な設定変更、構成の一からの刷新によって少年戦士・兜甲児は平成年代に甦った。その大胆なねらいは商業的にはいざ知らずダイナミック企画の持つポテンシャルの射程を伸ばすことには成功したのではないだろうか。
(ちょっと一旦、アップするだけします。追加して書きたいところはあるんだけど、今あげないともうやらない気がするので…)
アニメ版第6話のビジネスホテル(殺風景だがそこそこ築浅なのかすっきりしたインテリア)のダブルベッドで横になるデンジが、自らの言葉のままにミッションの先行きを心配せずただ寝心地の良さを味わっているのを改めて見て、このキャラクターがいかに過酷な成育歴を持っているかに感じ入った。そして共感した。私も主に経済的な理由から、半年先いや三カ月先すら未来図を描くことができない状況がながく続いている。そしてここに告白するが、それは一種の気楽さでもあるのだ。まさにくだんのシーンのデンジ同様に瞬間を楽しむ以外に発狂せずに自我を保てなくなる危機、それは人間の実存である。
さらに思えば、現在ジャンプ+で配信中の第二部においては、デンジは"主人公"というポジションさえ作者から取り上げられてしまっている。現在の中心視点人物であるアサから見れば、デンジは何を考えているのか、平均的知能に達しているかさえ怪しい奇行の目立つ同学年の男子に過ぎない。
これまでにもデンジはストーリーの流れで得たものをすべて奪われた。(犬形状)ポチタ、所属の自由、公安4課で知り合った人々、レゼ、アキ、食の愉しみ、パワー、マキマ。その容赦ない剥奪ぶり。作者はでは彼に何を与えたというのか。喪われたキャラクターたちは存在に意味があったといえるのか?少年漫画の意義とは? だんだん何を読んでいるか分からなくなってしまうほど、デンジは一度得たものを「チェンソーマン」の中で奪われ続けた。
そして本作が非凡といえるのは、デンジが作中でいまも奪われ続けているのは他者の存在だけではない点だ。彼には観念すらも周到な構造によって手に入らないようになっている。「チェンソーマン」という作品は世界から意味を感じ取ることさえも困難になってしまった時代の空気をテーマとしているのだ。周縁に追いやられた人間にとっては"概念のジャングル"と化す現代社会の様相そのものを描きだしている。
第一部のストーリーの柱となっていたのは『銃の悪魔』からの脅威であった。それはデンジが公安4課に配属されて仲間を得るモチベーションとなる命題でもあった。暴力と恐怖で世界を支配する『銃の悪魔』を排除できるか否か。そこでならまだ、テーマは単純で済んだのだが本作ではそのスタート時点で既にツイストが掛かっていた。デンジと世界にとって真の脅威は、父性的な権威を放つ『銃の悪魔』ではなく包容力のある善意で人々の自由を奪おうとする母性的権力の『支配の悪魔』。すなわち社会に進む道を示し仲間を与えてくれたマキマその人だったのである。父性的権威と母性的抑圧の同時台頭。あまりにも鮮やかすぎる世界の現状への切り口。藤本タツキは巫者に近い資質を持つ漫画家かもしれない。
そして現代において藤本タツキの才能が重要なのは、デンジのように世界を見通す視点さえまるで予め奪われている複雑怪奇な状況に置かれているのは<個人>のレベルに留まっていないという問題だ。観念の迷宮で精神的に成長することもなく、ただその時その時にシャッフルされて配られたカードで日常を送るしかない。これは多くの人が漠然と生きている現実の投影だと自分はようやく気付けたと思っている。藤本タツキは当初の感触以上に、最初から完成されていた天才だった。
しかし旧世代のクリエイターとも異質なのは、藤本タツキの描く世界は決して重くも暗くない点だろう。マキマが真の狙いをあきらかにして以降の作中の雰囲気はそれこそ少年漫画にはありえないほどの閉塞感に満ちており、読んでいてこの訳のわからなさは本当に作者の意図の内なんだろうかと戸惑うぐらいだった。そんな時でも、その出口の見えなさは(それゆえに)どこへ向かうのか分からない軽やかな空気感をまとっていた。そしてここでデンジのまるで動物のような非連続性時間感覚に話は戻る。旧時代なら前提としてあったはずの秩序を薄皮をはがすように奪われつづけているこの令和年代において、瞬間瞬間で自分自身が感じてその中からほんとうに信じたものを原動力として立ち塞がる壁を振動する刃で砕いて進もうとするプリミティブな衝動を持つ異形のヒーローを描く事。その震えが示すのはいつの時代においても個人がはらむ可能性なのだと。藤本タツキ作品のカオスはもしかしたら出ることのできない迷宮かもしれない。けれど何も起こらないとは限らない。ハプニングとは希望でもあるのだ。それを信じる事はすくなくとも誰にでもできる。「チェンソーマン」は諦念と厭世の漫画ではない。今回の細心丁寧のアニメ化でうまれた媒体的パースペクティブで自分はその確信を得た。これだってちょっとした、魔術的ケミストリーなんである。
(追記)デンジから精神の成長はあらかじめ取り除かれていると上記したが、第二部においては“不特定多数にモテたい(第一部では幼児の接触欲や被保護欲に近いレベルだった)”という意味の発言や“さりげない形でかっこよく正体バレしたい”などのより社会性の上がった欲求を見せている。とすればデンジは一般よりだいぶ遅い速度ながら内面に変化を起こしていると演出されている解釈も十分可能である。あくまで遅々としたものだが。
アニメ調査室(仮)さんにて開催中。以下、回答記事です。
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2022秋調査(2022/7-9月期、終了アニメ、52+7作品) 第66回
01,てっぺんっ!!!!!!!!!!!!!!!,x
02,ちみも,x
03,アオアシ,x
04,むさしの!,x
05,KJファイル,x
06,ブッチギレ!,z
07,黒の召喚士,x
08,異世界薬局,x
09,Engage Kiss,x
10,プリマドール,x
11,ユーレイデコ,B
12,RWBY 氷雪帝国,B
13,組長娘と世話係,x
14,Extreme Hearts,x
15,カッコウの許嫁,x
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20,オーバーロードⅣ,x
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25,キングダム 第4シリーズ,x
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55,(特番) うたの☆プリンスさまっ♪ マジLOVEスターリッシュツアーズ 旅の始まり,x
56,(特番) BanG Dream! Morfonication,x
57,(特番) D4DJ Double Mix,x
58,(特番) 憂国のモリアーティ (OVA 2話),x
59,スマーフ,x
[寸評]
ユーレイデコ:B 承認欲求と社会階級が繋がっている設定の理解にやや着いていけなかったが、ハックやフィン、ベリーといったメインキャラの魅力は高かった。最終話まで引っ張ったハックの仕込み設定はもっと効果的に見せてほしいところ。
RWBY 氷雪帝国:B 第1話のシュニー館での決闘とワイスの夢空間での寓意表現の一貫性、要所に挟まれる空間認識に優れたアクションと美点は多かったものの、あくまでシリーズ内のサブエピソードという企画なこともあってテンポに間延びがあった。
ツレ猫 マルルとハチ
ネクログ
魔界都市ハンター
大奥
あなたはブンちゃんの恋
エドワード・ホッパー作品集
神々の山嶺 ('21 フランス/監督:パトリック・アンベール)
原作の発表時点でおそらくすでに、戦後映画における男のロマン領域は過去のものという認識が為されていたように思う。谷口ジローの描くキャラクターの乾いた写実性、背景のスクリーントーンを多様した幾何学の美しさに似た遮蔽的なまでの清潔感。それらをアニメ映像に起こす際に十分な丁寧さでリファインしたという担保があってもなお、"なぜわざわざ危険極まりない山に登るのか"という現実でも虚構でもくりかえし起こされてきた問いに答えは…自分には見いだせなかった。ただ、作中で主人公が(誰にも理解されなくていい。そんな事に何の意味もない)と嘯く心情だけは分かる気がした。それは、日常でアルバイトをこなす姿や、不要であると切り捨てる方向で生きてきた人情にそれでも夢の中で悩まされる描写のさりげない挿入があってこそだったと思える。それにしてもこの映画で淡々と描かれる山の恐ろしさときたら。そしてそれとまったく無関係にひたすら美しい白と青、土色だけで構成された世界。山がある種の人々にとって何らかのメタファーとして屹立するのは、どうしようもない事なのかもしれないな。ところでミステリ要素としてもテーマ補強成分としても、マロリーのカメラ問題はいい感じに機能していたと思う。あれがなければ少し退屈しながら観たかも。
きみと、波にのれたら ('19/監督・湯浅政明)
巨大な波を背景に手を取り合う夏の若い男女。あまりにも美しく眩しいキービジュアルに騙されていたが、これは通い幽霊にとりつかれるお話じゃないすか! 湯浅監督の作品は良い意味で不気味である。彼氏が死ぬ前から、何度も何度もうたわれる作中の流行歌にもういいよ!と言いたくなってきていた。そして少々浮世離れしたところがあった彼女の視点がいよいよ主観と固定される中盤から、自分にしか見えない死んだ彼氏の幽霊を連れ歩く姿にサイコホラーのテイストを感じ取らずにはいられなくなる。でも。彼女はすごく性格のよい人当たりの正しい明るい娘っこだし、幽霊彼氏は水の中にだけ現れるという設定なため、むしろ生前のときよりも二人の愛情の交流は輝きを増したシーンで描かれる。その切なさといったら使いどころを抑えたBGMの力も加わって泣けてくるほどであった。そして彼氏の性格がすこし鬱屈した妹を助けるために、彼女が彼氏の魂の援けを得て、大波に乗るという舞台装置のスペクタクルには完全に意表を突かれた。終幕の、夏の終わりのような寂しさとともに堂々たる青春映画であった。あ、自然物のみならず人間までもときに自在なムーブを見せる湯浅アニメートは、美男美女キャラでメインを揃えた今回も健在でそこも見応えあり。